イボとエリンギと長男
我が家の長男は、繊細だ。
彼を一言で表すなら、ガラスのハートの持ち主。
彼がまだ10ヵ月のころ。
わたしと母が、息子の失敗談を笑いながら話していると、息子の太い眉毛がだんだんとハの字になる。そして不安そうな顔でわたしたちを見つめる。
どうしたのかなと思いつつ、話しを続けると、とうとう泣き出した。
まさか、自分のことを笑われているっていうのが、わかってるの?
母は「赤ちゃんでも、自分が言われでんのが、わがんだね~」と、言っていた(母は、福島弁の使い手だ)
「いや、そんな訳ないでしょ」とわたしは反論した。
しかし、旦那や保育園の先生との同じようなシーンでも、彼は同様に泣いた。それは、2歳になるころまで続いた。
そんな息子を見て、この子は、もしかしてすごく心が繊細なのかもしれない。彼の心はガラス細工のように取り扱い注意なのかもしれない、と思い始めた。
それ以降、わたしは彼の心を傷つけないよう、それはそれは細心の注意を払った。彼のガラスのハートを、ふっかふかの真綿で、2重にも3重にもグルグル巻きにして、そうっと大事に扱った。
壊れないように。
傷つかないように。
だけど、わたしはガサツだから、ときどき彼のハートをガリガリっと傷つけてしまう。
たとえば、エリンギ。
いや、いきなりエリンギの話をされても困るだろうが、聞いてほしい。
エリンギって可愛いですよね。
ツイッターで「スーパーで売られているエリンギって、大小のペアで親子みたいに見える」と話題になっていた。それから、スーパーでエリンギを見かけると、エリンギ親子にしか見えなくなった。
あれは、まだ長男が年長さんだったころ。
今夜は焼き肉だー!と、意気込んでスーパーへ。
付け合わせの野菜を買おうと野菜コーナーに寄ったら、超お得パックのエリンギを発見。
エリンギ親子の3.5倍ほどの量が入ってる。親子というより、もはや大家族だ。
長男に「見て~。エリンギの大家族バージョン。可愛いね~」と声をかける。
「ほんとうだ~かわいいね~
じゃあ、これがママで、こっちの大きいのがパパで、中くらいのが僕ね。で、ちっさいのがゆっちゃん(弟)」
と、これまた可愛い会話で、ほっこり癒される。
そして、その夜。
今夜は焼き肉だー!!(2回目)と、勢いよくお肉を焼いていく。
おっと、エリンギも忘れずに。
いい感じに焼きあがったエリンギを、さっそく箸でつまむ長男。
その姿を見て、いたずら心が働いたわたしは
「そのサイズは、ママエリンギかな?
あ~たべられるぅ~助けてくれーぃ」
と、ママエリンギの気持ちを代弁してみた。
ハハハっとひと笑いがおきて、さてお肉でも食べますかと、カルビを口に運んだ瞬間、クスンクスンとすすり泣く声が聞こえてきた。
隣に目をやると、さっきまであんなに楽しそうにカルビを食べていた長男が泣いている。
「え?どうした??
お腹痛くなっちゃった?
あっ!ゆっちゃんがお肉ばっかりバクバク食べているから?」
と、わたしは食いしん坊の次男を、キッと睨む。
すると
「だって、ママがぁ。ママがエリンギの真似するからぁ。
かわいそうで食べられない。うぅぅ。」
と、肩を震わせていた。
犯人は、わたしだった。
面白いかなって、場が盛り上がるかなって、よかれと思ってエリンギのアフレコしたのに、それがいけなかった。
こんな些細なことにも、彼のガラスのハートはいちいち傷つく。
「ウソやろ」と関西人でもないのに、自然と関西弁がでた。
すぐさま「ごめん、ごめん!もう言わないよ!
気にしないで、ほら食べな。エリンギ美味しいよ」
とフォローしたが、時すでに遅し。
それ以降、彼は一切エリンギを食べることをしなくなった。
この一件で、繊細な子には、食べ物を擬人化して、冗談を言ってはいけない、ということを学んだ。
しかし、わたしは、このあとすぐに、またやらかしてしまう。
イボ事件だ。
エリンギの次は、イボ?
なんなの?っていう声が聞こえてきそうだが、とりあえずわたしの話を聞いてほしい。
長男の左のふくらはぎの中央部には、イボがある。
イボといっても、外に飛び出しているタイプではなく、中にころころとしたしこりがあるタイプだ。1.5㎝くらいあるだろうか。
不安になって、皮膚科の先生に診てもらった。
いまのところ悪性のものではないらしい。しかし、長年放置すると悪性に変化することもある。とのことなので、小学校5、6年生くらいになったら、手術をしてイボを取ることにした。手術やら麻酔やらに耐えられるのが、小学校高学年になってからだろうという見立てだった。
ただし急に大きくなってきたら要注意だから、時折イボの状態をみてほしいと言われたので、わたしは気が向いたときに、彼のイボを観察している。
わたしは、彼のイボを「イボころ」と命名した。
お風呂に入っているときに、たまに「イボころ元気?」「イボころの調子どう?」と、イボの様子を伺っていた。
先述のエリンギ事件からほどなくして、わたしはいつものように「イボころ、まだいらっしゃる?」と、長男に聞いた。
すると、いつもなら「うん、あるよ」とか「大きくなってないよ」とか、にこやかに返事をしてくれるんだけど、その日は違った。
元気のない小さい声で「ママぁ、このイボころ、ぼくが5年生になったら、とるんだよね?」と聞かれた。
「そうだよ。あと5年後くらいかな」と答えた。
そして、何気なく
「あぁ~せっかく、けーちゃん(長男)の元に生まれてきたのにー。
こんなにずっと一緒だったのにー。わぁ~取らないでぇー」
と、イボを取ったときの、イボころの気持ちを表現してみた。
これがいけなかった。
またしても、長男からクスンクスンとすすり泣く声が聞こえてくる。
「やっべ。手術とか注射とか苦手だから、怖がらせちゃったかな」と焦るわたし。
すると
「やだぁ。イボころとお別れしたくない。うぅぅ」と、また肩を震わせている。
なんと、イボを取る手術への恐怖ではなく、愛着のあるイボころと離れたくなくて泣いていたのだ。
予想外である。
予想外すぎて、今回はフォローの言葉すら見つからない。
完全に油断していた。
食べ物じゃなければ、擬人化してもいいだろうという考えが甘かった。
わたしは、大反省した。
この一件で、繊細な子には、食べ物以外のものでも、擬人化して、冗談を言ってはいけないと、彼の取説に書き加えた。
と、まあ彼のガラスのハートのエピソードは、こんな笑い話だけならよかったのだけど、実際は違った。
こんなに繊細じゃ、思春期や大人になったら、苦労するだろうなと心配したが、実際はその予感は早々と的中した。
小学校に上がってからは、本当に大変だった。
保育園のころは、2歳から通っていたので、ずっと同じお友達に囲まれ、先生もよく目を配ってくれた。だから、彼の繊細なガラスのハートは、グルグル巻きの真綿に包まれたまま、大事に扱われた。
しかし小学校では、そうはいかなかった。
お友達も知り合いも、だれひとりいない小学校に入学した彼を待ち受けていたのは、荒々しい新しい環境だった。
先生も初めまして。
クラスメイトも初めまして。
長男が取り扱い注意のガラスのハートを持っていることは、だれも知らない。
彼は、ほぼ毎日泣いていたそうだ。
週に2回も3回も、担任の先生からご指導の電話がきた。
些細な事ですぐに泣いてしまう。
いつまでも泣き続けているので、授業も受けない、給食も食べないので、困っている、などなど。
今度は、わたしが毎日泣いた。
どうやって育てていけばいいのか。
どうやって彼の心を強くしていけばいいのか。悩みに悩みまくった。
このときのわたしは、ノイローゼ気味だったと思う。
そんな暗中模索の中、わたしは長男に「そんなことで泣くんじゃない。そんなことでいちいち泣いていたら、この先、生きていけないよ!」と、何度も叱ってしまった。
違う。こんなことを言いたい訳じゃない。
だけど、どういう風に話をしたらよいのか、わからなかった。
トラブルが減るどころか、増えていった。
週2回の担任の先生からの電話が、1ヵ月以上続いたある日。
とうとう、わたしはキレた。
電話越しで先生に
「この子は、そういう子なんです!」と、泣いて訴えた。
これが、わたしの本音だった。
そうだよ。小さいころから、何度も彼の心を強くしようと、彼を変えようとしてきたけど、できなかった。
繊細さを変えることはできない。
彼を変えるんじゃなくて、受け入れるしかない。
わたしは覚悟を決めた。
学校にも、彼はとても繊細な性格なので、些細な事でも傷ついてしまう。すぐに気持ちを切り替えることが苦手なので、時間をかけて見守ってほしいと伝えた。
この彼のありのままを受け入れる作戦が、功を奏したのだろうか。
それから先生からの電話は、徐々に減っていった。
今思えば、あの頃のわたしは、モンスターペアレントと呼ばれても仕方ない言動をしていただろう。
ちなみに、わたしがブチ切れてしまった当時の担任の先生とは、その後まもなくして和解した(と、勝手に思ってる)
そんな長男も、現在小学校3年生。
いま、わたしの目の前で、性懲りもなく、かにぱんを食べている。
こんなに繊細なのに、なぜか、かにぱんが好きな長男。
いまはどんな反応するのかなと、久しぶりに擬人化を解禁してみた。
彼が、かにぱんの右ハサミをかじった瞬間。
「あぁぁ~やめてくれぇ。
わしの自慢のハサミがぁ~」と、アフレコしてみた。
すると「もう~、ママやめて~」と笑う長男。
もう泣かない。
強くなったな。逞しくなったな、と成長を感じた。
わたしが何重にも包んだ真綿を、彼は自らの手で1枚1枚脱ぎ捨てていく。
全ての真綿が剥がれたとき、彼はどんなハートを持っているんだろう。
あの脆くて今にも壊れそうだったガラスのハートは、どんなハートになっているのだろうか。
今から楽しみである。
そんなことを思いながら、お皿に残された右ハサミだけが欠けた、かにぱんをほお張った。
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