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「起こることはすべて最高の出来事である」byヨガ哲学

「起こることはすべて最高の出来事である」

これは、ラーマヤナというインドの昔話の中にある話です。

単純明快で、よくあるテーマでもあるんですが、
すごく好きで、ふとした時に「そうだよな‥」って大切なことを思いださせてくれるストーリーかなと思っています。

今日は久しぶりの投稿で、Twitterではとても伝えきれないなと思い、ここで紹介したいと思います。

王様と家臣のお話

その昔。ジャナカという王様がいました。

この王様には、とても忠誠心のあるアシュタバクラという家来がいました。
アシュタバクラの口癖は、「起こることは、すべて最高の出来事です」というものでした。
王様の問いかけにも、常にこう答えていました。

王様はそんなアシュタバクラをとても気に入っていて、いつも自分のそばにつけていました。

周りにうとまれていたアシュタバクラ

あるとき、王様が手にケガを負ってしまいます。

アシュタバクラばかりが王様に寵愛されていて、それをよく思っていなかった他の家来たちは、アシュタバクラを罠に陥れようとします。

そうして、わざとアシュタバクラに尋ねました。
「王様が手にケガをしたことをどう思うか?」
当然、アシュタバクラはいつものように「起こることは、すべて最高の出来事です」と答えます。

この発言を聞いた王様は激怒します。
「私が手にケガをしているのに、最高とは何事だ!」
怒った王様は、アシュタバクラを牢屋に入れてしまいました。

狩りに出かけた王様に起こった悲劇

そしてある日、王様は狩りに出かけました。
いつもそばにいたアシュタバクラは、もちろん牢屋の中です。

王様は狩りに夢中になり、ひとり森の奥へと入っていってしまいます。
すると、王様はある部族に捕まってしまいました。

その部族は、儀式で人間を生贄にして、火あぶりにしようとしていたのです。
まさに生贄として捧げようと火あぶりにしようとした時、王様の手のケガに気がつきます。

生贄は、ケガや傷などがなく、きれいな状態ではなくてはなりません。
「この人間はケガをしている!これでは生贄にならない!」
そのため、王様は解放されました。

ケガをしていたことで、命拾いをしたのです。

ケガをしていたことで救われた命

戻った王様はすぐにアシュタバクラの元に行き
「私が悪かった。ケガをしていたことは、お前の言っていたとおり最高の出来事だった。牢屋に入れてしまって申し訳なかった」と。

するとアシュタバクラはこういいました。
「王様、私が牢屋に入れられていたことは、最高の出来事です。もしいつものように、私が王様と一緒に狩りに出かけていたら、私が生贄になっていたでしょう。牢屋にいたからこそ、私は命を落とさずにすんだのですから、最高の出来事です」

こんなお話です。

起きた物事をどうとらえるか

起こることはすべて、最高の出来事です。

私たちの身近にも、意外と同じようなことがあったります。
もちろん、ツラいことであれば、それをすぐに最高だった!と思うのは簡単ではありません。

でも

起こってしまったこと
もう過ぎてしまったこと
変えられないこと

これらにとらわれて嘆いて、こだわっているよりも、その出来事をなんとか「最高の出来事」に変換できれば、きっとどんなことも踏み台にして乗り越えていけるんではないかなと思います。

たとえ最高とまではではなくても、なにかポジティブな面が見つかるはず。

そうして、その経験が、また一歩自分を成長させてくれるのですよね。

ヨガの哲学、なかなかおもしろい話もあるなーなんて思ってもらえましたでしょうか?

お読みいただき、ありがとうございます♪

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