「リストラ」、「人員削減」を「間引き」「姥捨山」に読み替えるとヤヴァさマシマシ

とりあえず、次のニュースを読んでくれ。

米グーグルは20日、世界で約1万2000人の社員を姥捨てすると発表した。持ち株会社である米アルファベットの社員の約6%に相当する規模となる。新型コロナウイルスの流行に伴い製品やサービスの需要が急増したことを受けて採用を拡大したが、事業環境が厳しくコスト削減が避けられないと判断した。

米テクノロジー大手ではメタが2022年11月に約1万1000人を削減すると発表した。18日にはマイクロソフトも約1万人を間引きすると表明し、相対的に収益力が高い企業にも人員削減の波が広がってきた。

スンダー・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は20日に社員に電子メールを送り、「25年近い歴史を持つ企業として厳しい経済状況を経験することが避けられない。事業の焦点を絞り、コスト構造を見直し、人材と資金を優先度が高い分野に振り向ける」と説明した。

アルファベットの22年9月末の社員は18万6700人で、3年間で約6割増えていた。固定費が増える一方、コロナの反動や景気減速により主力のインターネット広告事業の成長が鈍化。株価も下落し、アクティビスト(物言う株主)として知られる英TCIファンド・マネジメントが22年11月に間引き、姥捨などの収益改善を要求していた。

2023年1月20日・日経新聞記事の一部ワードを差し替えたもの

上記は、とある記事中に含まれる、「リストラ」「解雇」「人員削減」などのキーワードを、「姥捨て」や「間引き」に差し替えたものだが、元の記事を批判しているわけではない。
元の記事は、ファクトと背景事情、市場関係も書かれている、わかりやすい記事だと思う。

しかし、元の記事を読んでも、どうにも鈍い自分がいる。

会社経営の視点としては「しょうがない」と理解ができる論理的な自分。でも、一方で、「うちの会社で同じようなことが起きても、しょうがないようなぁ」という思考停止にすぐ陥る。

なんで私の思考は停止するのか。改めて考えてみると、リストラ/人員削減を「手続き」として行われる/報じられることで、ニュースをスルーしていると気がついた。

「リストラ」や「人員削減」と言う言葉が、「事柄」を表す言葉で、遠く離れた他人事の言葉として使われていて、自分ごとの世界になりにくい言葉になっているんじゃないかと思ったわけです。

これは、「リストラ」や「解雇」が自分の中で”軽い”言葉に成り下がっていると同意かもしれない。

世の中のニュースの多くは、ファクトの言葉で構成されている。各メディアが「報道倫理規定」を作成し、それに従い記事が作られる。

でも、ファクトの言葉の記事には、記者の感情は含まれない。
言い換えると、記者の持つ感情の言葉を、直接表現できない状況が、メディアにはあるということではなかろうか。

冒頭の記事は、「間引き」とも「姥捨」とも書けない。書かれていない状況で、読者に「察しろ」という状況。

メディア側にはメディアとしての倫理と状況があり、無理ゲーを読者に強いているのはわかる。

だったら、第三者が「記者感情メガネ」をAIとか使って作っちゃえば、世の中の鎧の中の「本当はこう思ってるんです〜」は、もっと伝わるのかもしれないな。


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