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パブリックな自分を意識する〜自分の感情を適切に扱い、その都度表現していればできること〜


ここのところブログが滞っていました。

書きたいことはたくさんあるものの、パブリックな自分を意識しだしたら何だか書きにくい、もあったように感じます。


先月の私は夫からの頼まれ事が増え、無意識に引き受けるものの、なんだかやたらにモヤモヤしていました。


その習慣化された私の受け身の癖が手放せず、全く気づいていないわけではないのに、健全な引き受け方へ行動変換できないまま、その未処理の感情が無意識に夫への愚痴、となって私から他者に漏れ出てしまっていました。


私のまだ癒されていない部分が夫への攻撃、不満になっていました。

私自身が認めていない、受け入れていない、許していない部分。

それがそのまま夫を認められない、受け入れられない、許せない!になっていました。



自分軸からではなく他人軸から動いていた、とも言えるし、依存的だったと言えるかもしれません。

というのは今振り返れば気づくことで、そのときは気づいておらず、他者から


「旦那さんを人前でサゲちゃダメ。」


「旦那さんはアゲていかなきゃ。」


「従業員の前では絶対旦那さんをさげちゃダメよ!」


「自分の置かれた立場をもっと認識した方がいい、経営者の妻としての自覚を持ってください。」


など、心ある方たちからの言葉にハッとし、やっと自分がどういう在り方でいたか、に客観的に気づくことができました。


それまで私の自我は被害者意識でいましたから、自分が何をしていたか客観的に気づけておらず、私の言っていることは正当だ、くらいに思っています。


私はビジネス上におけるパブリックな私ではなく、妻、主婦の在り方で夫を見て、物を言っていた、とやっと自分の甘さ、愚かさに気づきました。


私が夫の会社に携わる、関わるとき、私の立場的には経営者の妻、としての在り方でないと良く機能していかないのです。


無意識とはかくも恐ろしい。


私は主婦意識を引きずったまま会社界隈の方たちと関わっていました。


今、また私は自分の在り方を変えていく、と決めました。


パブリックな自分をきちんと認識し、その在り方が健全にできるには、さらに私自身の癒しを進め、その都度その都度自分の感情を感じ、適切に表現していかないと苦しくなります。


自己犠牲から動くと苦しいですが、自分発で自分の気持ちを適切に正直に表現しながら動くと楽しくなります。


今、自分は苦しいのか、楽しいのか。


自分の感情を丁寧に掬い取り、その場に相応しいパブリックな自分を適切に表現していきます。


この私の気づきが、環境は違えどどなかの何かのヒントになれば嬉しいです。


お読みいただきありがとうございます。

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