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目的が明確で尚且つ好きなことだと集中して動ける〜魂の喜びとともに〜


昨日大きなイベント内のフォーラム会場に仕事で1日居ました。


国内外からいらしている、いろんな会社の方の話しを聞いていて、


目的が明確だと人はそこに向かってエネルギーを集約できるのだな、


とつくづく感じました。


いろいろな会社の方の取り組みを聞いているなか、興味深いことも多々あったのですが、


2025年4月から開幕の、大阪万博に向けての会社の方の話しなど、具体的且つ、期限が迫っていたり、身近な日常の延長のような話しの方が思い入れが情熱的で、聞く方も引き込まれてしまう、と感じました。


また、他の取り組みでも、その取り組みが好きでたまらないというような気持ち、またはだからこそ、そのような仕事についてしまった、という方たちの話しの方が、情熱的且つ本当に楽しんでいる雰囲気が漏れでてしまっているため、聞いている方まで楽しい気持ちになってきます。


目的が明確
自分の大好きなこと
やりたかったこと
使命に感じているようなこと


このような状態は出している波動がそもそも高いので、自然とそこに人は惹きつけられ、周囲を巻き込み、チャンスがチャンスを呼んでさらに拡大していくだろうな、と。



また、目的が明確であるほどに、自ずと日常生活のあらゆる物事に優先順位が決まるから、動きやすいだろうなと感じました。


これは主婦であっても、学生であっても誰しもに言えるだろう、と。


私は人生も半ばを過ぎてやっとですが、自分の生きる目的がみえてきて(思い出して)、それと伴に人生そのものがシンプルになり、迷いが少なくなる、と感じています。


生きづらかったからこそ、なぜこうなのか?にフォーカスした結果、強いトラウマがある、という事実にたどり着きました。


そしてその事実が分かり、トラウマケアに取り組んでくると、他人軸にならざる得ない環境だったということが理解でき、それはそもそも自分を取り巻く周囲の大人こそがそうだったからただ継承してきただけ、というシンプルな流れが見えてきます。


が、逆に言うと、そのような道のりだったからこそ、生きる目的が明確になり、複雑だった人生がシンプルになっていった、とも言えます。


人生に早いも遅いもなく、あれがいい、これがいいもなく、その方が、その方唯一のオリジナルの人生の目的に向かって、ただ前進していくことが生きる醍醐味なのかな、と感じます。


自分を喜ばすと言うと、今まで生きてきた常識の上で、好きなものを買う、などの喜ばすだけを思い浮かべがちです。



が、例えば私だったらこのようにブログを書き、生きづらさを、自分の制限や思い込みを解いていく鍵になるような気づきを、リアルな体験とともにシェアして、他の方の気づきも促せれば、という願いも、私の生きる目的であり魂の喜びです。



そのように、その方オリジナルの、その方独自のやり方で魂を喜ばせ、成し遂げたい目的を明確にすればするほど、人生がシンプルかつ、みんなが美しく輝いていくのではないか、と感じています。


お読みいただきありがとうございます。

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