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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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2022年6月の記事一覧

「春をひさぐ女達と柳ヶ瀬裏通り」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ143枚目 ネオン瞬く街の外れに軒を連ねる見窄らしい飲み屋街。 その街角に立つ春をひさぐ女達。 日本全国、何処にでもあった裏町の風景だ。 何度もこのnoteで描いたが、僕は岐阜は柳ヶ瀬という歓楽街で育った。美川憲一の柳ヶ瀬ブルースで全国的に有名になった街だ。昼間、僕らの遊んだ大きな公園は、その柳ヶ瀬と市電一本を挟んだ通り向こうにあり、夜ともなれば、そこは彼女達の商売圏でもあった。 彼女達は江戸時代でいえば、筵(むしろ)を抱えた夜鷹だ。

「百連発ピストル」懐かしのブリキ玩具

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ142枚目 男の子なら皆んな遊んだ百連発ピストルだ。 駄菓子屋で売っており、価格も安く子供にも買える玩具だった。 火薬のついた紙テープを巻いたものを上の絵のように装填して引き金を引くと実際に火薬がパンパンと爆発し、子供ら同士で撃ち合って遊ぶのだ。 それまでのオモチャは形こそ拳銃だが、実際に音が出る訳ではなかったので、子供達は自分の口で「バン! バン!」と言いながら遊んでいた。 それに比べれば、これは火薬の匂いも臨場感があり、僕らを一時

「足袋か運動靴か」昭和の運動会

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ141枚目 僕は小学校に上がって迎えた最初の運動会の前日に、「足袋を履いていけ」と母親に言われた事がある。 これは、相当驚いた。 僕らは日常生活の中で足袋を履く習慣は既になかったからだ。 言うまでもなく、足袋は着物と共にあるものだ。それはまだ着物を着ていた母親や祖母の履くものであっても、半ズボン姿の僕らには時代遅れも甚だしい物だった。 僕がぐずっていると、父親が茶の間に顔を出して言った。 「たわけっつ! この足袋は普通の足袋とは違

「我が家にテレビが!」昭和少年の悲願

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ140枚目 僕の家にテレビがやって来たのは昭和37年、小学校生だ。 学校から帰ると、うちにテレビがあった。もちろんシロクロ。 我が町内会では、テレビが来たのはどんじりの方で、どこの家にも既にテレビはあった。遅ればせながらではあったが、嬉しかった日だ。 その当時、記憶にあるのは・・・ 鉄腕アトム 昭和38年 日本初の長編TVアニメ 鉄人28号 昭和38年  「ビルの街にガオーッツ!」 8マン 昭和38年 「玉よりも早く!」 てなもんや