マガジンのカバー画像

僕の昭和スケッチ

240
「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

昭和の路上駄菓子/カルメ焼き

 「僕の昭和スケッチ」55枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは、町でカルメ焼きのオジさんを見た事がありますか? 子供の頃、学校の帰りにカルメ焼きが来ていると思わず立ち止まってオジさんの技に見入って、「カルメ焼きが来てるよ〜」とクラスメイトを呼んだものです。オジさんは小学校の通学路や公園の脇などに座っていました。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、これが普通の駄菓子と大きく違うのは参加型の駄菓子イベントだったという事です。 つまり、ザラメをお

さよなら赤チン/昭和のキズ薬が製造終了

 「僕の昭和スケッチ」54枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは保健室の美人の先生に赤チンを塗ってもらいませんでしたか? え、「うちの学校の保険の先生は美人じゃなかったっ…!」って? いや、失礼! そう言う話しではありませんでした(笑)! 昔は赤チンで肘や膝を真っ赤に染めた子ども達が走り回っていました。 どこの家庭の薬箱にもあった赤チン。 もちろん、母親にもよく塗ってもらいましたよね。 その最後の製造業者、三栄製薬が製造をついに中止します(202

新聞紙の一生/始末の良い昔の日本社会

 「僕の昭和スケッチ」52枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは新聞紙で作った袋を見たことがありますか? 例えば、八百屋さんで野菜を買うとお店のオジさんやオバさんが古新聞で作った袋に買った野菜を入れてくれたものです。 母親は家に帰るとその新聞で作った袋を捨てるのかと思いきや、又とっておくのです。 そうして、掃除の時にそれを細かく破いて水に湿らせて畳みの上に撒きます。それを帚(ほうき)ではいて掃除をすると、新聞紙が埃を吸着して畳みは一際(ひときわ)

我家の裏にあった八百屋さん/昭和の暮し

 「僕の昭和スケッチ」51枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは、お母さんと一緒に近所の八百屋に行きませんでしたか? 少しあなたが大きくなるとお使いに行ったりしませんでしたか? これは、まさしく昔どこにでもあった小さな八百屋の思い出です。 天井からはハエ取り紙が何本もぶら下がっていました。 隙間もない程に黒々とびっしりハエを捕まえたその様子が、子供心には何とも不気味で不衛生に感じられましたが、当時としては当たり前の光景でした。 店の柱には、伸縮

冬の日の思い出/少年時代

 「僕の昭和スケッチ」50枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 冬の日に風邪だとお袋に言って学校をさぼったことがあります。 だが、すぐに寝ているのにも飽きて9時頃には私はもう後悔し始めていました。陽の光が障子越しに差し込んで来て外は小春日和のようでした。 部屋の片隅には、15円で買ったヒゴの模型飛行機、在所から送られて来た柿の実、行くはずだった学校の白い布製のカバン。 私は世界で自分が一番つまらない人間のように感じて陽だまりの中にいました。 *僕の昭和

「お好み焼きが10円だった時代」昭和の暮し

 「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ49枚目 <画/© 2020 もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> お好み焼きが10円だった時代があります。 ペラペラのお好み焼きでしたが… それが美味しかったのです。 大きさは、直径20センチほど。屋台のお好み焼きです。 値段は、僕が小学生の頃の記憶で確か一枚10円。 昭和30年代の前半でしょうか。 入っているのは、紅ショウガと天かすにネギだけ。 それを目の前でオジさんが鉄板の上で焼いて、新聞紙に包んで渡してくれるのです。今の