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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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2020年10月の記事一覧

遠い日の思い出

  イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」最初の一枚 これは子供の頃の記憶です。 或る夏に在所でザリガニ採りに行った帰り道の思い出。 先を歩いているのは、在所の従兄弟です。 バケツからザリガニが逃げ出しているのに気付かず歩いていました。 制作は2005年。ちなみに、仕事の合間をぬって「僕の昭和スケッチ」を始めたのが2016年ですから、昭和スケッチより10年以上前の作品という事になります。けれど、最近になってこの絵を見ると絵のティストは昭和スケッチとはちょっと違うものの、これ

オート三輪、しばしば横転す/田舎の農道

  「僕の昭和スケッチ」39枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> オートバイとトラックのいいとこ取り、と言われたオート三輪。 あなたの街や村にも走っていませんでしたか? 安くて小回りがきいたオート三輪は戦前から1950年代に日本全国を走り回っていました。当時の日本では、まだまだすれ違い困難な未整備の狭い路や曲がりくねった路が珍しくなかったのです。そのため、オート三輪の機動性はなくてはならないもので、酒屋さんから農家まで非常に重宝された車だったのです。 だが

昭和はオニギリの時代

  「僕の昭和スケッチ」38枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 昭和ってオニギリの時代だと思いませんか? だって、お弁当って、それしかなかったでしょう? (貧者の独断) 運動会や、遠足の日に今時の見た目も綺麗で美味しそうなお弁当なんて映画やTVの中の世界でしたよね。(独断アゲイン) ちょっと(そうとう)独断ですが、言って見れば、みんなオニギリだった! 梅干しや、おかか…、たいていそんなものだった。 (いやいや、タクワンは二切れくらいは付いていたぞ。)

ホットパンツ降臨/昭和46年

  「僕の昭和スケッチ」37枚目 <画/もりおゆう© 原画/水彩 サイズF5> 昭和も40年代半ばとなると街角の様子も一気に変わってくる。 服装も、ミニスカートの後、ロング(マキシ)スカート、と入り乱れるように登場し男子の目を釘付けにしたのが… 「ホットパンツ!」 それ以前の流行、ミニスカートは、TVの中ならいざ知らず一般にはミニと言っても膝が出るくらいで騒いでいただけだが、ホットパンツは違った。 女子の太腿は、もはやミニなど何のそのとばかりに露出し、当時の流行語「

兄貴の作った鉱石ラジヲ

  「僕の昭和スケッチ」36枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは「鉱石ラジオ」って知っていますか? 当時の表記だと「ラジヲ」となります。 ある日曜日、兄貴が何かよく判らないものを作っていました。 まだプラモデルもない時代で子ども達は当時現れ始めた模型屋でハンダゴテや針金、工作用の木片等を買っては自分達なりの「何か」を作って満足していた時代です。 恐らく鉱石ラジヲはその類いで、学校の教材だったか、或はその当時流行っていたからなのか、とにかく兄は私

何故…?家の中に牛がいるっ…😅!?

 イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」35枚目 これは昔の美濃地方の富農に見られる典型的な百姓屋の一隅を描いた一枚。 大きな玄関から入って来た広い土間には、農器具等が置いてある。 その奥がこの牛小屋。さらに奥が台所に繋がっている。 土間を介してこの牛と反対側は、大きく立派な畳敷きの部屋になっている。こういう造りが多かったようである。 私の育った岐阜市内では屋内に牛がいるという事は考えられない事だった。 「モーッツ、ビックリ!」 と子供でなくても駄洒落が出そうな遠い日の記

続/屋根の上の世界.憧れだった赤い奴

  「僕の昭和スケッチ」34枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> (昨日の「屋根の上の不思議な世界」の続きです) その変わった物干場のあるKちゃんの家は、お母さんが美容院をやっていて女手一つでKちゃんを育てていました。お母さんはお洒落な人で、美人。新し物好きでもありました。そのせいか、Kちゃんはちょっと僕らと違っていました。例えば…(いきなりへんなところへ行くが)お弁当には何時も赤いソーセージがはいっていたのです。赤いソーセージは当時では、まだ出たばかりの新

屋根の上の不思議な世界

  「僕の昭和スケッチ」33枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 子供の頃によそ子の家に遊びに行くと、その家の作りに驚くようなことがありませんでしたか? 幼なじみのKちゃんの家が、まさにそんな感じでした。 表通りから見ると商店街は整然と並んでいるのに、中に入って上に上がると全く違う世界が見えるのです。 二階へ上がって外にでると、上の絵のような感じ。 「どうして?」と訝(いぶか)るような場所に物干し場が伸びています。なんだか、遊園地みたいだと思いませんか?

ジーンズは不良ファッションだった

  イラストエッセイ「僕の昭和スケッチ」32枚目 <画/© 2020 もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 「ジーパンってカッコいいな…!」 そう思って子供の頃にジーパンを親にねだると「あんなものは不良の履くもの!」とにべもなくシャッターが降りた。 「ジーパンは汚れや傷みに強く、我が家の家計にもピッタリなのに何故?」と思ったものだ。だが、確かに昭和30年代に小学生だった僕達の世代では、ジーパンを履いている小学生はまだまだ非常に珍しかった。 私の場合はクラスにアメリカ人

無花果(イチジク)の木に縛られて

  「僕の昭和スケッチ」31枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> あなたは、悪い事をして親の手で木に縛られた事はありますか? 不面目な話しだが、私は子供の頃にとんでもない悪さ(盗みの類いに非ず)をして、父親に裏の無花果(イチジク)の木に縛られた事がある(涙)。 いくら昭和の昔とはいえ、余程でなければ子供を木に縛ったりはしない。(だから、言って見れば相当な悪戯をしたわけです。) 今なら、子供を木に縛って放置するなどしたら「すわ児童虐待!」となり警察に通報さ