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2023年10月のふりかえり

AZさんのnote、Youtube、twitterを拝見し、これは絶対にやらなければと。11月頭にざっとノートに書き出すかんじのことはしたのですが、きちんとnote上で言語化したいとずっとずっと思い続けて18日目、やっと着手に至りました。

できごと羅列

・奈良から大阪へ引っ越し
みほこさんのwith me with you
・大人のお絵描き教室in兵庫に参加
・ビジネスの解像度を高める星読み講座&yujiさんの書斎へ
・メンタルモデルで紐解きセッション
chikako..さんにタロットをしてもらう
きまぐれアカペラを始める
・スナックとまり木に初参加
ナラティ部の動画勇気100%の動画をアップ
・蠍座期間っぽいnote記事をいろいろアップ
ko-fiメンバーシップ開始&念願の1対1ZOOMをする
・すてきなコワーキングスペースを見つけて通う
・人生初「どうぶつの森」をプレイする(ナイナイへの挑戦)
初めての有料マガジンを作成&購入してもらえる(※11月1日)

「これ全部10月の出来事!?」ってひっくり返りました。9月27日にライブ配信、9月30日に東京のエキシビジョンで歌う、などとても大きなイベントもあったので、そこから数えてまだ1ヶ月しか経ってないとか噓でしょ!?って驚愕&笑っちゃいました。(加えて言うなら、18きっぷの旅+逗子マルシェからも2か月しか経ってないとか、ちょっと本気で信じられない。)

と、この振り返りを通して、そのような客観的な俯瞰ができたからこそ「11月は動きを止めて体力回復につとめよう」と決断を下せました。丸2か月間、ちょっとあり得ない密度の激動フル回転(肉体的にも精神的にも)だったので、ここらで一旦休みをいれるが吉だろうと。

①現実で何が「動いた」か

・新しくたくさんの人と繋がり始めた

なんと言い表せばよいのか……いわゆる「QUANTAまわりの方々」との出会いが本格的に始まった月でした。セッションやワークショップなどかなり近い距離感で対話をさせていただいたり、相互フォローさせていただいたり。

イメージ的には、ずっとプレイ動画を見ているだけだったオンラインゲームのなかに、自分自身もプレイヤーキャラとしてログインしたような感覚です。あるいは、いなかっぺが、上京して初めて渋谷に降り立ったときのような興奮。2020年ごろからずっとホニャララROM専だったので……。

私が、占星術をはじめとした目に見えない世界のことが好きだと、おおやけに宣言できたのも、今年の9月9日のことで。自分のスピリチュアリティをオープンにして、そのうえでこれから出会っていきたい人達のもとへ、出かけたり、コンタクトをとった月でした。

「動いた」というよりは「動かした」感じです。

・1対1でおはなしをする時間がもてた

2021年6月くらいから「私は人の話を聞くことがしたい(ナラティヴ的な対話の場を設けたい)のに、なぜ配信をしているのだろう(なぜ私が喋る側になってるのだろう、しかも一方的に)」と、ずっと悶々としてて。それからもいろんな葛藤やせめぎ合いがあって、なかなか実行に移すことができなかったのですが。

10月20日に、初めて、そのような時間が実現しました。といっても、それは「対話」にも至ってない「おしゃべり」のような時間だったのですが。それでも、「1対1で向き合う」という時間であったことは間違いありません。やっと、やっと……3年越しの、念願が、実現しました。

それは、「みさとぅと1対1で話してみたい」と思ってくれる人がいなければ、成立しないもので。いくら私が「お話聞き、します」「私とおしゃべりしませんか?」と言っても、申し込みがなければ、はじまらない。

私自身「私としゃべりたいと思う人なんているわけない」と思っていたところがあったので……本当に、ついに、でした。この時間を持たせて頂けたこと、本当にうれしかったです。

②内面で何が「動いた」か

ほんとうにたくさんの「desire」がうごめきましたし、ぐわんぐわんゆさぶられまくりの大変な荒波でむちゃくちゃになってました。よって立つところを溶かされて、めちゃくちゃシェイキーにされたかんじ。

・私をあらわす「何か」がほしい

すごく、はがゆくて、くやしくて。結実がない感じ。YOUTUBEとかインスタとかいろいろやってることはある。本作ったり、オリジナル曲つくったり、色んなアウトプットはある。吟遊詩人・歌・旅・ナラティヴというテーマもある。でも、「で、結局あなたは何者なの?」「何してる人なの?」って聞かれたときに、何もなくて。こたえられなくて。何を目指してるのか、自分でもわからなくて。

それなりにいろんなことの経験はある。やれることはいっぱいある。でも、「できること」がない。「誰かから依頼してもらえること」がない。

端的に言えば、なにかしら、自分の代名詞となるような「商品」「サービス」「活動内容」「コンテンツ」を定めたいということだと思う。暫定的でもかまわない。

・今まで発揮してきたポテンシャルを認知されたい

これは↑が実現されれば必要ないことなのかもしれないけど……。今まで色々な場所で色々なことをやってきて。ある場所では「Aができる人」、別の場所では「Bができる人」、さらに違うところでは「Cがすごい人」のような感じで、認知や人物像がバラバラ、統合されてなくて。

きっと私は何かができるはずで、私の今まで経験してきたことや私自身の持ち味がうまくはまって役立てたり喜んでもらえて、私自身にも豊かさとして還元される、そういうものは「あるはず!」という自己信頼はあるんだけど、具体的なものがわからなくて、しんどい。それを、本来は自分から「私はこういうことができるのでお役に立てるのであればお声がけください」って言わなきゃいけない、私から言わなきゃ誰もわかんないよ、というのはわかってる。わかってるけど、私は私のうまい活用の仕方がわからない。どうしたらいい。しんどい。

・「まわりに委ねたら勝手に進んで実現する」がほしい

ここ数か月のあいだに、「自分が躍起にならなくても、肩の力を抜いておまかせしていたら、あれよあれよと物事が実現・発展していく、しかも自分でやるより断然すてきなものに!」という感じの「流れにのっている」方々をたくさん見かけて。これがきっとあるべき姿なんだろうと、それはわかるのに、自分にはまだその状況が訪れなくて、どうしてだろう、どうしたらいいのだろう、とはがゆいかんじ。

・仲間、チームが欲しい

これも↑と似たような話かもしれない。ここで書いた。

・理解される/されないこと。分かち合う/合えないこと。

これは端的に言葉にするのが難しくて、どっちかというと順を追って説明したものを一つの記事にするような感じだけど……。お絵描き教室後の飲み会で、井出さんに質問をぶつけさせていただいたところからはじまり……いろいろ考えて行きつ戻りつ。この1ヶ月、すごくもんもんと向き合ったことだった。

ここに書いたようなことに関連する話かも。

・自分の中の線引きをなくしていく

どうぶつの森もそうだし、いろいろと意識の上で、無意識のうちに自分とは相容れないものとして線の向こう側に追いやっていたものを、それだってこの世界のなかに「ある」もので、そこにいいわるいのジャッヂは本来的にはないである……ということに取り組んだ。

学び多すぎました。どうぶつの森、私がこれまでの人生でないがしろにしていたものすべてがそこに詰まってた。人生勉強すぎた。

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