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後輩がイケメンすぎると問題かと… 第13話

  軽快なBGMが流れる明るいカフェショップの入口で広い店内を見渡したゆりかちゃんが、窓際の席に座る私を見つけて、駆け寄ってきた。

 「由美さん、遅くなってゴメンね」

 向かいの席に座るや否や、ピンクのマニキュアをした小さな手を合わせたゆりかちゃんは待ち合わせの時間から10分遅れの到着だった。

 「私もさっき来たところだよ。それより体は大丈夫? 」

 「うん、別に熱もないしね、疲れてるだけだと思うんだけど…  暫く様子を見て症状が持続すれば病院で検査しようかなって思ってる」

 ゆりかちゃんが私を恵基の元に送り出したその翌日、私は彼女に電話した。すぐにでも彼女に会いたかったけど、ゆりかちゃんは体調が優れず仕事もキャンセルしたそうで、その日に会うことはできなかった。体が怠く、食欲もなかったらしい。それから数日後の今日、撮影の打ち合わせで私の会社の近くに来ているという彼女からお茶でもしようと連絡があったのだ。まだ食欲は戻っていないということだが、今日は気分がだいぶ良いらしい。

 「稔さんも心配してるでしょ? 無理しないでね… 」

 「ありがとう。それより由美さんはどうなの? 恵基さんからまだ連絡ない? 」

 あの日を堺に、恵基は行方不明だ。その事をゆりかちゃんに連絡して、彼女の体調不良を知ったのだった。だからあの夜のことはゆりかちゃんには未だ詳しく話していなかった。

 恵基と一緒に過ごしたあの夜の記憶は鮮明に残っている部分とぼんやりと夢心地であやふやな部分がある。ビールくらいしか飲まない私が、慣れないバーボンを飲んで酔っぱらったことで、正直言って泣き顔の恵基を抱きしめた後からの記憶は途切れていた。

 結構長い時間、恵基を抱きしめていた記憶はある。トクントクンと感じた恵基の心臓の鼓動と波の音を聞いているうちに、ウツラウツラ眠気が襲ったみたいだ。途中、フワリと体が浮いたような気がする。それから何か柔らかい感触が唇に触れたみたいだけど、そのまま眠りについてしまった私にはそれが夢の中の出来事なのか現実だったのかはっきりと言及できない。

 その次の記憶はすでに翌朝だった。耳慣れた携帯の着信音で反射的に応答ボタンをタッチした私に浴びせられたのは、雄叫びのようなボスの濁声だった。

「由美いー! お前何してるんだ? どこにいる? ナメた真似しやがってっ! 」

 それは無断欠勤はおろか、月曜の定例会議を連絡なしにすっぽかした私に対するボスの怒りの叫びだった。

 ちょっと無断欠勤しちゃっただけで、なんか大袈裟に叫んでるよなあ…

 まだお酒が抜けきっていない頭はそう思ったけど、ボスの次の言葉で喚き散らしている理由がはっきりとわかった。

 「恵基が消えた! 携帯も繋がらないんだ。こんな事が起きないためにお前を一緒に行動させてたのに… 責任持って探してこい! 必ず恵基を連れて来い、わかったな! 」

 そう言われ一方的に携帯を切られた私はあたふたと身嗜みを整えて周囲を見渡した。どうやら昨夜は寝心地の良いこのソファーベッドで爆睡していたみたいだ。クルーザーに恵基の姿はなかった。

 状況が把握できずに呆然としていた私の耳にキャビンのドアをノックする音が聞こえた。急いでドアを開けた私の前に立っていたのはマリーナの管理人さんだった。

 「ああ、えっと… タクシーが到着していますが、どうされます? 」

 躊躇いがちに管理人さんが私にそう言った。

 恵基がタクシーで私を最寄りの駅まで送ってくれるように管理人さんに頼んでいた。それ以来、彼は姿をくらましてしまった。


2


 「そうだったんだ… やっぱ恵基さん手強いな、一筋縄じゃいかない」

 あの夜の出来事を知ったゆりかちゃんは、少し悔しそうだ。私が電話した日に体調を壊して、すぐに私と会えなかったことがちょっと残念そうだった。

 この数日間、出来る限りの手段と情報テクニックを駆使して恵基を探した。
 と、いっても他人を拒絶する虚像の恵基を追うなんて並大抵のことじゃない。どこでもチヤホヤされていた彼の交友関係はあまりに沢山ありすぎて、同時にどれも薄っぺらだった。おそらく彼に一番近い存在だった私でさえもお互い何処に住んでいるか知らない仲だ。

 私の記憶にある恵基の『元カノ』達にも数多く接触してみた。恵基のお遊びの相手にされた彼女達の反応は当然のように冷たかったが、

 「アイツ、あんたみたいな地味女(ジミジョ)まで守備範囲に入れてるんだ。やめといたほうがいいよ、遊ばれてポイされるだけだから」

などと、私までムカつくようなことを言われたりもした。中にはまだ恵基が忘れられずに涙する娘(こ)もいて、恵基の体を張った紛い物ぶりを改めて痛感させられ、最低な気分に陥ったことだってある。

 マリーナに戻ってるかもしれないと思って、もう一度出かけてみたけど既に停泊契約を解消し、クルーザーも消えていた。管理人さん曰く、あの後すぐに代理の船ブローカーがやってきて解約の手続きを済ませ、船を引き取っていったということだ。前日の夜遅く恵基を訪問して翌朝出て行った私は、管理人さんからすっかり誤解されていて、船の移動先や代理ブローカーの住所も教えてはもらえなかった。

 恵基の足取りを追う有力な情報を得るためには、やっぱり稔さんとゆりかちゃんの協力が必要だ。そう思ってあの日、ゆりかちゃんに電話したけど、彼女が体調を悪くしていたので恵基の失踪を伝えただけに留まっていた。

 「実は私も恵基さんの住所は知らないんだ… 恵基さんが私達の家に来ることはあってもその逆ってなかったんだよね。諜報の世界に身を置く人だから、そのほうが恵基さんにも私達にも不都合がないだろうって思ってたし… だから私が恵基さんに会うのはいつも稔と一緒で外か、あのクルーザーだったんだ。今のマリーナに移動する前に恵基さんが使ってたヨットバーバーは知ってるけど、そんな簡単に分かりそうな所にはいないと思うよ」

 「だよね… アイツはプロだから雲隠れされると見つけるのは至難の業だよ。このところ恵基の行方を探ってて改めて感じたんだけど、アイツの行動ってあまりにも広くて浅いから、有力な情報なんてこれっぽちも出てこない。まるで雲を掴むみたいだよ。私のミスだってボスからもずっと白い目で睨まれてるし、このまま恵基を見つけ出せなければ私はクビかもしれないな… まあ.事の始まりは私が恵基に想いをぶつけてしまったことだから、私の責任と言われれば確かにそうかもしれないけど…… 」

 ゆりかちゃんにそんな愚痴を溢しながら私は大きく溜息をついた。

 「確かに、由美さんの責任だねっ♪ 」

 ゆりかちゃんが、ちょっと意味あり気に微笑んだ。慰めの言葉みたいなものを期待していた私には、ちょっと以外な反応だ。ゆりかちゃんから叱られたような気分だった。

 「私の責任なのかあ… どうしよう」

 冷めたカフェラテが載ったテーブルにしょんぼり目を移した私の姿を見て、ゆりかちゃんがケラケラ笑いだした。

 「由美さん、素直すぎ! 由美さんを咎めてる訳じゃないよ。あの日、由美さんが酔っぱらって爆睡しなかったら恵基さんをゲットできたはずだってことが言いたかったの。詰めが甘かったね、肝心な所で寝ちゃうんだもん… 私、言ったでしょ? 恵基さんに時間与えちゃダメだって」

 「確かに酔っぱらったのは不覚だったな… だって想像できないような重い事実を聞いちゃったから… お酒でもないと吸収できないよ、あんな話」

 「そうだね。私もそんな深い事情があったなんて思いもしなかった。突然何も残さずに消えちゃったありさを忘れきれないんだろうって単純に考えてたから… 恵基さんがありさの死に責任を感じていたなんて、なんか本当やるせないな。
 だって、ありさは恵基さんとの結婚は叶わぬ夢だって思ってたんだから… 彼女も恵基さんと同じ世界の人間だから、一般人として普通に暮らすことは難しいってわかってたよ。でも、恵基さんはプロポーズしてくれた。婚約してからのありさはこれまでにないくらい生き生きしてた。あんな幸せそうな彼女は見たことなかった。だから恵基さんと一緒に歩んで、愛し合えたことに満足してるはずだよ」

 「うん、私もあの夜そう感じたんだ。お酒が効いちゃってうまく言葉が纏められなかったんだけど、感じたことをできるだけそのまま恵基に伝えようと努力したんだよ… でも結局、呂律も回りにくくなっちゃって、シゲキの『キ』が抜けたりしたんだよね。傍から見ればまるで酔っぱらいの戯言のようだったかもしれないな」

 「なるほどねー。由美さんがどうやって恵基さんを落としたか、正直すごく疑問だったんだけど、それでわかった! 怪我の巧妙ってやつだ」

 ゆりかちゃんが、ポンと叩いた手の拳を握り小さくガッツポーズを見せた。

「どうゆうこと? 」

 ゆりかちゃんの喜びがわからない私は難しい表情を彼女の前に突き付けて尋ねた。

 「ありさの喋り方って、ちょっと特徴があったの。小さい頃に受けた虐待の影響で言語発達が少し遅れたって彼女が言ってた。施設に入ってからは訓練や治療で言語障害は克服できたみたいだけど、そのせいでかなり舌足らずな喋り方だったんだ。恵基さんのことも「シゲキ」じゃなく「シゲ」って呼んでた。だから酔っぱらった由美さんの話し方がありさとダブっちゃったんだよ。呂律が怪しくなった由美さんが「シゲ」って呼んだんだから、恵基さんにとっては凄い衝撃だったはずだよ。実際にありさが喋っているような錯覚に陥ったんだよね、きっと」

 そう言われてみれば、あの時の恵基はショックで硬直していた。

「由美さん、大丈夫。由美さんの想いは恵基さんに届いてるよ。あとは恵基さん次第だな。由美さんは恵基さんへの想いを素直にそのまま突き付けたんだから、それを恵基さんが受け止める勇気を出せるかどうかだね」

 テーブルを挟んで座る私の前に大きく身を乗り出して、蔓延の笑顔を浮かべるゆりかちゃんは何となく興奮しているような言いっぷりで、そう断言した。

 「その恵基が行方不明じゃ、全てが宙ぶらりんのままだよ… 私の限られた諜報技術じゃ、アイツを見つける自信ないなあ」

 アイツだって探されているのは承知の上だろう。恵基と私の諜報テクニックはクジラとイワシ、雲泥の差だ。このままリストラされるかもしれない私とCIAのノウハウが幼い頃から身に染みついた恵基では、かくれんぼにも鬼ごっこにもならない。
 恵基が自らの意思で私の前に姿を現すのを待つしかないだろうな。私はそう覚悟するしかなかった。

 「もしかしたら稔は何か知ってるかもしれないけど、中嶋社長の件でてんてこ舞いで、本庁と神奈川県警に入りびたりなのよね。帰ってきても午前様の状態なんだから」

 真由美さんのダイヤが見つかったミュゼ本社の金庫からは、不正融資や脱税を裏付ける多くの物証も発見された。警視庁の捜査2課や国税局まで巻き込み大きな展開を見せつつある。事件現場に居合せ、神奈川県警と共同で真由美さん殺害に関する捜査を主導してきた稔さんは本庁と県警を繋ぐ唯一の捜査員として息をつく暇もないくらい忙しく奔走中だそうだ。

 「でも由美さんがとばっちり食らっちゃって解雇されるのは私も心外だから、一応稔に聞いてみるね。もし知ってたとしても絶対白状しないだろうけど… 由美さんが困ってる状況を伝えて、恵基が連絡くれるように説得して欲しいって頼むことくらいはできると思うから」

 そう言って、ゆりかちゃんが微笑んでくれたけど、その後すぐに

 「あの夜、由美さんが酔っぱらって寝てしまわなければ、恵基さんは由美さんを受け入れてたかもよ。今頃はカップルになってハッピーだったはずなのに、ホント残念だなあ… 」

 と、寂しそうに溜息をついてレモンティーを飲み干した。その表情は私がもう二度と恵基に会えない可能性を憂いているようでもあった。


3

 あれから3週間が過ぎようとしていた。恵基が消えてしまった最初の週はボスの冷たい目に晒されながら、掴みどころのない恵基の足跡を追っていた私だったけど、今週初めの定例会議で「恵基のことは、もういい」と、いきなり別の仕事を与えられてしまった。日本の大手医薬品会社のごく一般的な内情調査だ。他にも色々な案件があった中で、はっきり言って一番どうでもよさそうな仕事を回された。なんとなく肩叩きされてるみたいな気分だ。
 最初のうちは恵基の失踪について社内で色々な噂が飛び交っていた。既に本人からの辞表は届いているが会社に残すための交渉を進めているだとか、連続無断欠勤で解雇の準備を進めていくか否かで経営陣が揉めているだとか… つまるところ確かなことは分からないけど、もともと特別枠にいた恵基だから、会社側が未練たっぷりだという見解だった。

 それが今週に入っていきなり風向きが変わった。月曜日の定例会議でボスが恵基の会社離脱を発表したのだ。辞職なのか、会社の処分なのか詳細は一切明かされなかったが、あれだけ噂話に華を咲かせていた同僚達からは驚きの声すら上がらなかった。
 「仕事ができる魅力的なイケメン」は恵基自身の思惑通りに、周囲から目立つだけの遠い存在だったのだ。どうして恵基が会社を離れるのか、その理由を聞きたいと私はボスに食い入ってみたけど相手にすらされなかった。

 中嶋社長の逮捕で、当然ながら例の化粧品製造会社の買収は私達のクライアント側の勝利に終わり、情報を小出しにしていた私達の会社の面目も一応保たれた。成功報酬も入り、この件に関しては会社としてジ・エンドというところだろう。

 「恵基のことはもういいから新しい任務に集中してくれ。君の仕事は、急ぎ案件じゃない。某政府機関が製薬会社の資料集めをするのに人手が足りないということで、協力を申し込まれたんだ。大した報酬も請求できないボランティアみたいなものだから、まあ暫くそっちを付き合ってやれ」

 と、ボスは冷たく私にそう言った。いわゆる「出向」みたいなものだ。恵基がいなくなった今、収入に結びつかないクズ任務で私を活用しようという方針だ。産業スパイとして目覚ましい活躍を期待されていないことは分かっていたけど、こういう露骨な窓際族的指令を受けると、やっぱりちょっと傷ついてしまう。

 今日の夕方、その「出向先」と初顔合わせだ。機密を商売にしている私の会社では新しい案件に関して曖昧な指令しか出されないことが多い。まず相手側と接触して自分の目と耳で任務の詳細を得るというのが常だ。今回私に与えられた仕事は『お手伝い』みたいなものらしく、それ程大した案件ではなさそうなのに、私には「某政府機関の手伝い」ということだけしか伝えられなかった。予想以上に重要なのか、それとも説明する必要もないくらい馬鹿らしい仕事なのかどちらかだけど、社内での私の立場とボスの塩対応ぶりを見れば後者であることは間違えなさそうだ… まあ今日のアポでそれもはっきりするだろう。午後5時に赤坂のFスイートホテル内のラウンジ、『待ち合わせ』という意味を持つキブシの花が活けられている和柄の花瓶が置かれた4人掛けテーブルだそうだ。

 最初の待ち合わせ場所を指定するのは大抵クライアント側だが、普通は服装を指定した上で「ごめんなさい、遅れてしまって」「5分遅刻ですね、大丈夫ですよ、どうぞ」と、いくつかあるお決まりの合言葉で行うことが多い。今回みたいにテーブルだけ指定してるのって結構高度なアポのセッティングだ。先方が私をお見定めするために仕掛けているようで気味が悪く、あまり気が進まないというのが本音だ。いくらサポート程度の安料金でも余りにも無能な人物では困るから、どういう人材なのか試したい(=面接したい)という気持ちは、わからないでもないけど…
 
 まるで入社試験を直前にした受験者みたいに夕方のアポに緊張している私は、朝からずっと食欲が湧かず、ランチも野菜ジュースだけで済ませてしまった。同僚達は皆、其々の案件を追って外出している。社内に残っているのは簡単な事務整理や雑用を担当する留守番係のアルバイトと『窓際族』の私だけだ。憂鬱な気分で夕方の準備を始めようとしていた時、1通のEメールを受信した。

 件名『賽は投げられた』、送信者は不明だ。
 スパムメール? そんな事あるかなあ?… 当たり前だが、諜報を生業とする私達の会社ではデーター交信のセキュリティーはかなり高度だ。差出人すら明記されていないスパムメールのような初歩的なものは全てフィルターにかけられ、受信拒否されるはずだ。それなのに、このメールはちゃんと私の受信ボックスに配送されていた。

 もしかして、今日会う予定のクライアントが私を試すための「試験」でもしてるんじゃない?… 夕方のアポに猜疑心一杯の私は、反射的にそのメールをクリックしてしまった。表示されたのは訳のわからない文字列と数字だった。

 ”Qlaxu, xq 4 m.j., Fqxifxk zlccbb pelm. Pefdbhf “

 あー、やっちゃった! やっぱりスパムだったのか… 一瞬そう思ったけど、件名だけはっきりと記入されているのが気にかかる。

 件名『賽は投げられた』――

 えっ、もしかしてこれ… !

 私の考えが正しいかどうか、すぐにネットで検索してみた。

第14話: https://note.com/mysteryreosan/n/n69f0d7a22f82



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