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神秘探究-時間と存在が真理であり、宇宙の真理を「仏性」と言います。考察

お釈迦様の教えに「一切衆生悉有仏性」があります。これは『涅槃経』という
経典の中に説かれていて命あるものはすべて仏となる性質(可能性)を内にもっている。つまりすべての人が仏に成るべき「仏性」を生まれながらに具えている、人間性を完成して真の人間に成る事ができるという意味です。

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宇宙の真理を「仏性」と言います。その仏性が露わになった存在が「仏」です。この世は仏性で満たされた世界であり、ことごとくの存在が仏であるから、お釈迦さまはこの世は涅槃寂静の世界(=煩悩の炎の吹き消された悟りの世界)であると教えられました。


仏教用語で「無明」とは生命の根源的な無知・迷い・癡かさ一切の煩悩を生む根本とされ、「光明」とは仏・菩薩の心身から発する光、慈悲や智慧を象徴しています。

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「仏」のことは「仏陀」とも「如来」とも呼びます。「仏」はもちろん死んだ人のことではなくて悟りを得て解脱した存在です。「如来」とは「あるがままの真理に到達した者」インドの原語では「あるがままの真理を悟った者」という意味です。

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宇宙は時間であり、宇宙は存在です。この時間と存在が真理であり、真理が露わなるものが「仏」です。

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お釈迦様は菩提樹の下で坐禅をされていて天空に輝く星々も地上の山川草木もありのままに…そのままに…それぞれの姿が露になっているではないかということに気づかれ、このありのまま、あからさま、露であることは真理の現れであり、真理そのものであることを悟られたのです。

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お釈迦さまが坐禅をされているところ、そこは「宇宙」です。そのままが真理に満ちあふれたところです。星の輝き、山川草木、生きとし生けるもの、ことごとくが宇宙の真理そのままのあらわれであるそのことを悟られたのです…

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物事のプラスの側面だけを見ていると「なぜうまくいかないのだろう」という気持ちが強くなり、無理にプラス思考に脳を持っていこうとするあまり、私たちはつい…「プラス思考ができなくてだめだな…」と自責の念に駆られることもあると思いますが…


私たちが何気なく行っている行動には自分の考えがもれなく反映し、その行動は人それぞれ、ある一定の「パターン」を持つと言われています。

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そしてその習慣化により知らず知らずのうちにパターン化した「思考」や「行動」になり、それは無意識に行われるようになっていて全体の90%以上が「無意識」に行われていると言われます。この「無意識」とはいつもの行動をしてしまうということです。


簡単に言えば「意識」というのは私たちが普段自覚している思考や判断でたとえば、「今年こそ車の勉強するぞ」と思うことや「この車を買おう」と判断すること。そして「無意識」はそれ以外の考えたり判断しないでもやっていることです。

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”人間の脳はポジティブな情報よりもネガティブな情報に注意を向けやすく、記憶にも残りやすい性質を持つ”これは「ネガティビティ・バイアス」(心理学用語)というものです。

この機能はもともと、人類が進化する過程で災害や事故などの身の危険から守る「防御」としての役割を果たしてきたと言われています。つまり、自分の身に危険が及ぶようなものに特に敏感になり、それらを記憶に長く留めて回避できるように脳が発達しました。

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潜在意識の記憶にはこの「ネガティビティ・バイアス」がかかるということであり、たとえば…「やりたい」と思っているのに「やらないほうがいい」とか…
「会いたい」と思っているのに「会わないほうがいい」という矛盾した「頭と心」「意識と無意識」にあべこべが生じてしまうのは人間の仕組み上、当たり前の機能だということです。

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無意識と意識をつなぐパイプ
(これが潜在意識)にノイズ(雑音=他者)が
入り込んでいる事が原因です。

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大切なことは自分の心のノイズに気づき、こう思っている自分を知ることです。

これは私がまだ自分を探していた頃に偶然ご縁をいただいた僧侶の方からいただいた教えですがいまだに心(魂)に響いていますのでここにご紹介させていただきます。よかったら参考になさってみてください。

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「自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)」

仏教の開祖であるお釈迦様(仏陀)に死期がせまったとき、
弟子の一人が涙ながらに「お釈迦様がお亡くなりになってしまったら、
私たちは一体何を頼りに生きていけばよいというのですか」

嘆く弟子に対し、お釈迦様(仏陀)は「私がこの世を去ったあと、あなたたちは2つのものを頼りとしなさい。一つはあなた方「自分自身」、そしてもう一つは「真理」である」
お釈迦様が亡くなる際に弟子たちの行く末を心配して遺言として「自灯明、法灯明」という言葉を残しました。
つまり法灯明とは、「真理」=「本当に正しいこと」を頼りにして生きていきなさいという意味の禅語です。
それは何かを信じることではなく「何が本当かを見抜き、考え抜く生き方」のこと。
そして自灯明とは「自分自身を頼りとして生きていきなさい」という意味の禅語です。
自分自身を灯火として先の見えない暗闇のような人生を歩いていきなさい。
ふいに停電した夜に灯すロウソクの明かりのように「頼るものが何もない場所でも」自分を頼りとすることで「自分自身が明かりとなり」暗闇を照らすことができるように。
もし、自分以外の誰かを灯火として誰かに前を照らしてもらって生きていたのでは
その誰かがいなくなり明かりが消えたとき、人は真っ暗闇のを中を彷徨うことになってしまう。それは生き方として非常に危うい。
だから、他に寄りかかるような生き方はするべきではないと仏陀はこの言葉を残しました。


波は「波動」です…

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