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紅茶とプリン

2024年、一月である。
それももう終わりに近く
節分が近い。

元旦から能登地震が起こり
暗澹たる気持ちで過ごした一月であった。
悪い事が噴き出している日々のニュース。
人は自然の影響を受ける者だから
災害や政治のゴタゴタ等が続いていたら
がっくりときて当たり前ではないだろうか。

モヤモヤした気持ちの中、一月の最後の日曜日。
ふと、若かりし頃に大好きだった料理研究家の本が目に止まり昼間の半身浴に持ち込んだ。
最近、この髪を洗う行為が大変で
出かけなければ毎日等洗わなくなった。
切れば良いと思われるかも知れないが
細く癖毛の為、長くないとボワッと跳ねて纏まらないのだ。
とは言え、歳を重ねるにつれ洗髪するのも乾かすのも負担になっている。
ある程度の年齢になったら
短く切って跳ねまくるしかないか、と思っている。
毛糸の帽子を被ればモジャモジャも気にならないだろう。

話が逸れたが
その料理研究家の本を読んだら
数十年前の自分が好きで目指していた暮らしが蘇った。
本とは時に隠された宝である。
私はこう暮らして生きたかった
とはたと思い出したのだ。
何故に逸れまくってしまったのか。
時代の流れもあったし
家族の為にが大きかった。
今、こうして悶々と暮らすならば
初心に戻り好きな暮らしにしたら良いのだと思う。

朝は紅茶とナッツだけにしていたけれど
薄切りトーストにバターをつけて食べよう。
パンは身体のことがあるのでスペルト小麦が
好ましい。
カリッと焼いてクランチピーナッツペーストを塗るのもいい。
仕舞い込んでいるティーカップやカトラリーを出して
毎日の暮らしに使おう。

〝暮らしは小さく”
それがその方の暮らし方。
小さくても美しく必要な物だけで
心豊かに暮らすという事。
本当にこの20年くらい
すっかり忘れていた。
その事に自分でも驚いている。

Gien

早速好きなお茶を入れビスケットを添えた。
このお茶、3種類のお茶とハーブだけで作られた
あとを引くお茶で高額過ぎてしょっちゅうは買えません。
しかし無くなると欲しくなって仕方ないお茶。
医師に余命宣告されたのに諦めず世界を廻って探し出した究極のお茶なのだそうです。
オーガニックの烏龍茶ベースで懐かしい様な香りがする。
自由が丘のヒーリングサロンに行った時に出されて気に入り、以来無くなると注文している。
ティーカップは
フランス、ジアンのオアゾブルー。
アースンウェアですがフランスでも高かった。
あまり沢山は買えなかったけど
ぽってりした地にブルーの模様が美しく鳥が可愛らしい。
ソーサーに描かれたフルーツが味噌だと思う。
添えたビスケットはクラッカーなのだろう。
塩味が効いて薄くてパリパリと食感がよく
何枚でも食べらるクラッカー。
塩味でショートニング無しが気に入っている。
しかし中々手に入らなくてたまに通販サイトにある時に注文している。
イギリスのwait roseのクラッカー詰め合わせに入っている感じ。
恐ろしく薄いプラスチックに包まれた様々な味、シェイプの薄焼きクラッカー。
たまにしけている。
あれが懐かしくて堪らない。
何故日本にはY崎Nビスコみたいな口にするのに躊躇する感じのクラッカーしかないのだろう。
小麦自体がちょっと手を出しにくいし添加物が多めに感じます。
小さな器はフランスの繊細な白地の器を作る窯の物。
お気に入りだったのにスルッと落ちて割れて継いでいる。
店員さんも言っていたけど
『うちの食器は割れやすい。
高い食器も落とすと割れてしまう。
だけど好きだから継いで使うの』と。
これはフランスでも高価だから
去年日本では値上げしたので買えません。
信じられない位割れてしまう食器です。
1番好きな食器。

ビスケットの他に欠かせないのが
プリンである🍮
私は菜食主義者に近いので
時々恐ろしくプリンが食べたくなる。
しかし、引っ越ししたら
いつも買えた丁寧に作られたプリンが買えなくなり
気持ちが上がらなくなったのだ。
あのちくやのプリンが
こんなにわたしに必要だったなんて
失ってから気がついた。
近くのスーパーやデパートにすら
わたしの求める丁寧に作られたプリンは存在しない。
ヘッダーのプリンは
あるサロンドテで頼むプリンなのだが…
大変申し訳ないのだが
見た目は100パーですがしかし
味が及第点に及ばない。
何かが足りないのです。
あと少し何かが…

プリンの話をしたら食べたくなった🍮
紅茶も奥が深いし
人生を左右する物だが
プリンも劣らずに奥が深い。
カラメルのほろ苦さが大きく拘る気がする。
美味しいプリンに出会ったらまた
書き記そうと思う。


Fruits sandwich 

サロンドテのフルーツサンドイッチ🍓
素晴らしいフルーツサンドイッチ🍓


お気持ちありがとうございます♡