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私とあなたの向こう側は私〜『正法眼蔵』現成公案の巻②〜

たどり着いた方、ようこそ。

『正法眼蔵』現成公案巻(超訳)の
自分なりの備忘録です。

日本宗教史上最高(難易度)の哲学書との声も多い本書ですが、なるべく伝わりやすいものにしようと努めたものです。興味が出てきた方は、ぜひ本書や解説書を手に取って頂ければと思います。

この記事だけ読んでも大丈夫ですが、
もしお時間ある時に、
前回、前々回の記事を読んで頂けると、
理解が早いですので、
ぜひご参照ください。

本文は太字で、
私の注釈は細字にしてあります。

ではいよいよ内容に参ります。

人間は、心から穏やかに生きたいと思った時、
その知恵が自分が善く生きる為にあるわけではなく、自分という垣根を超えて、全てが調和していたことに気づくだろう。
ある人が船に乗って川を進んでいる時に、岸を見ると、岸が進んでいるんじゃないかと勘違いする。自分目線で見れば船が進んでいることは明白である。全てのことを理解しようとする時に、自分の知識や見地は絶対的なものであると見誤る。
自分の生きている現実を見つめて、調和を志向するならば、そんなことになるはずはない。

ここで切ります。

調子がよいとか悪いとか関係なく、
現実を直視して、自身が間違っているという可能性を常に念頭に置いて、正しく評価し調和に努めることが大切です。

基本的には、『正法眼蔵』は、
この考え方をひたすら反復していきます。

次にいきましょう。

焚き木が燃えて灰になって、薪に戻ることはない。灰が後に発生し、薪が先にあると考えてはいけない。薪は薪としてやるべきことを過不足なく行っていて、灰も同様である。人間にも同じ事が言える。人間は死んだあと、生き返ることはない。人生は人生として満ち足りていて、死は死として同じように満ち足りている。死も生にならないように、生が死になったと言わない。これらは不生不滅という仏の教えである。
生も死も一時の状態に過ぎない。
冬が春に、春が夏にならないのと同じである。

ここで切ります。

ここでのキーワードは「不生不滅」です。
この言葉、聞いたことありませんか?
般若心経に出てくる言葉ですね。
面白いところは、
不生は滅のことを表していて、
不滅は生のことを表しているところですね。
人はいずれ死ぬし、死んだ人は生き返らない。
この自然の摂理を踏まえると、
不滅不生という順番にならない理由もわかりますね。
私がここから得られたこととしては、
生きてた人が死んでしまったと思うから辛いのです。その気持ちはありつつも、それ以上にその人なりに全力で生きたことを讃えましょう。天寿を全うしたなんて結果論です。長いか短いかなんて関係ありません。一生懸命生きていれば、未練はつきものです。

生も死も過不足なく満ち足りています。
他ならぬあなた自身がこうでなければならないと思っているだけで、その足枷を外せば、きっともっと充実した人生を謳歌できます。死も永遠の眠りではなく、亡くなった方もお釈迦様とともに、黄泉の世界をきっと謳歌しているはずです。皆さんの大切な人がそうであって欲しいと祈ります。

次にいきましょう。

人間が物事を理解するというのは、水面に月が宿るようなものである。月が濡れたり、水を遮断することもない。どんな小さな水滴にも映る。主客対立など存在しない。
自分というものがどういう立ち位置なのかを理解していない間は、修行はもう充分だと思ってしまう。
それに対して、物事の道理が身に染みてわかっている人は、常に危機感をもって、これで充分だと感じる時がない。

ここで切りましょう。

これでいいんだという慢心も欲の一つです。
褒められたい、認められたいと言った承認欲求の表れです。
本当に欲をかいた時、人間は道徳的になる、とよく言われますが、人間は本当に欲をかき切ると、それは願いとなり、みんなで幸せになろうと願うようになります。そのため、中途半端なその場しのぎの欲求にとらわれず、人生かけて実現したいと思うものを見つけて、周りの人も幸せになったら最高ですよね。
承認欲求を向けるべきは、
他人ではなく、他ならぬ自分自身です。
謙虚さを常に持ち、自己満足を目指していくこと。それによって、その自己満足が理に適っていれば、その周りの人にも良い影響を与える、と道元は説いています。

続いて、

私たちが何かを極めようとして、
一つのことに出逢えば丁寧にこなす。一つの一生かけてやるべきことに出逢えたなら、脇目もふらずにやり続けることが肝要だ。
ここに満ち足りている世界があり、物事の道理を理解して己を道理に調和させることに努めていると、どこまでも世界が広がっていく。私たちの都合とは関係なく存在しているその道理にあなたが気づくと同時に、世界もあなたに味方をするだろう。
それ故に、この智慧を知ったところで偉そうにできるようなシロモノではない。
今まで述べた究極の智慧は、即座にあなたのもとに現れるが、その示すところはすべての人に理解されるわけではない。私たちの目の前に広がる道理は、言葉では到底言い表せないほど、深遠なものである。

私見では、
これこそ無我であると思います。

私は、大本山總持寺にて3年間修行をしていました。大学時代、なんのビジョンもなく、欲しいものはそれなりに手に入り、自分の欲の赴くままに過ごしていた日々をかなぐり捨てて、修行に入りました。テレビもなければ、スマホもない、パソコンもない、放し飼いの如く境内の外にも出られない、外部との連絡も取れない、修行にとってのノイズを一切排除して、修行に集中することになりました。その当時、次から次へとやるべきことに追われて、ひたすら叱られる日々でした。
本当に嫌で逃げ出したくなる日もありました。

しかし、それでよかったのです。

アタマで考えてる以上に、
身体がスポンジのように吸収していく感覚。
そこに私が私がという気持ちはありませんでした。
これが、修行生活を送る上で守るべきお寺のルールに自分を溶け込ませていくことなんだ、と修行が終わってから気がつきました。

そして、總持寺での修行が終わってから、
また新たな「調和の修行」が始まりました。
お寺によって、ルールは違います。
また自分のお寺に戻って、己をルールに調和させようと腐心しています。

昨今は、転職する方もかなり多くなっていますが、前職のスキルを活かしつつも、自分はこうしたいああしたいという気持ちが起きますが、
一旦忘れて吸収することに集中することが一つのライフハックなのかもしれません。

最後に、
例え話でこの巻を道元は締めています。

宝徹という僧が暑くて団扇をあおいでいると、
別の僧が来て尋ねました。

「風は常に風として存在し、風が吹いていないところはないのに、なぜ和尚様は団扇を使っておられるのですか?」

宝徹はこのように答えます。
「お前はただ風が風であることを知っているだけで、風が吹いてないところがないということをわかってない」と。

僧はまた尋ねました。
「では、風がどこでも吹いているとはどういうことですか?」
その時に宝徹は、団扇をただあおいでいるだけだった。

その僧は黙って頭をさげた。

ここから道元はこのように注釈しています。

仏の教えたる所以、仏教としての理解として、まさにこの話の通りである。風が常にあるなら、うちわを使う必要がない。それを使わない時も風を感じるはずだ、と考える人は、風が常にあることも、風がどういうものなのかも分かっていない。風は風であるからこそ、仏教徒の風は大地を黄金の土地に変え、大河の水を美味しい飲み物に醸成するのである。

ここは、色々な解釈がありますが、
私見では、
道元自身の今の立場を高らかに宣言するものだと思っています。
道元は、12歳で比叡山に修行に入りました。
そこでこのように教わります。

人はみな生まれながらにして、すでに悟っていて、叡智も備えている、と。

それを聞いた道元は、
「なんで私は修行するんだろう?」
という疑問が頭から離れなくなり、
比叡山を後にしました。

例え話に出てきた、
「風」と「うちわ」を
それぞれ「叡智」と「修行」に入れ替えるとどうでしょう。
このエピソードに似ていませんか?

「風」にはどこにでも吹いているのに、
なぜ「団扇」を使うんですか?

「叡智」は誰にでもあるのに、
なぜ「修行」をするんですか?

この尋ねている僧は誰なのかわかりませんが、
かつての道元なのでしょう。

道元は、なぜ自分が修行するのか、その答えを求めて中国へ渡り、如浄(にょじょう)という人生の師に出逢います。

その姿と重なったのではないでしょうか。

全て満ち足りているからこそ、自分がやるべきことをこなしていく。そのパフォーマンスを保つために己を整えてゆく。それが修行なんだ、という若かりし道元自身への処方箋だったのかもしれません。

ここで『正法眼蔵』現成公案は以上になります。

日本宗教史上最高(難易度)の哲学書とも呼び声の高い本書、いかがでしたでしょうか?
学者が本気で頭を悩ませ、様々な解釈がある本書ですが、できる限り、専門的な用語を排除して、読みやすく工夫したつもりです。

道元の生い立ちや学んだことが、
まさに心血を注いで書かれたというのがひしひしと伝わってきました。
800年経っても、私たちを鼓舞する言葉たちが宝石箱のように輝いています。

長い記事になりましたが、
最後まで読んで頂きありがとうございました。

もし、興味が出た方がいましたら、

『正法眼蔵(一)』道元著 水野弥穂子校注←原典
『正法眼蔵現成公案を味わう』内山興正著←易しい
『正法眼蔵入門』頼住光子著←そこそこ易しい

などを手に取ってみてください。

批判があることは承知です。
ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

参考文献
『正法眼蔵(一)』道元著 水野弥穂子校注
『正法眼蔵現成公案を味わう』内山興正著
『正法眼蔵入門』頼住光子著



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