『信じられる仏教』への誘い 〜道元略史〜

皆さん初めまして。EKです。

私は曹洞宗の僧侶です。

これから『正法眼蔵』を一章ずつ
できる限りわかりやすく、ゆるく紹介します。
特に事前知識はいりません。ご安心を。

そのままだと、
とっつきづらくて、難解ですが、
中身を知れば、
今までにない気付きがあったり、
皆さんにとって役に立つ人生訓が
きっと見つかります。

その前に、どう言う経緯からこの作品が生まれたのかをご説明します。

皆さん『正法眼蔵』って知っていますか?
高校で日本史Bを取った人なら、
存在自体は知ってるかもしれません。
しかし、その内容まで知ってる方は、
ほとんどいないと思います。

まず、道元という人がどういう人なのか、
ここから説明します。
これを知っておくことで、
読解がしやすくなりますので、
お付き合いください。

道元は、1200年に貴族の家に生まれました。
彼は8歳の時に母を亡くし、枕元に供えられた線香の煙を見ていて、あまりの悲しさから、比叡山延暦寺へ修行に行くことを決意しました。
しかし、
あまりにも若すぎたので、
実際には12歳の時に
道元は比叡山に修行に入りました。
ちなみに、
私が修行に入ったのは、22歳。
小6で修行だなんて、
よほどの切なる思いがあったんだなと感じます。

比叡山に入ってたくさんのことを学び、
修行して、体も心も逞しくなりました。

道元が、仏教について勉強していると、
ある疑問が浮かびます。
「私、なんで修行しているんだろう」と。

急にどうしたんでしょうか。
これにはれっきとした理由があります。

その当時、比叡山では
ある考え方が一般的でした。
それは、
人間は元々悟りを得ていて、
必要な智慧も得ている、というものでした。

こう教えられた道元は、
「それなら修行する必要もないし、勉強する必要もないんじゃないか」と考えました。

道元は、母を失った悲しみから、
育ててくれた恩になんとか報いるべく、
一生懸命頑張ってきました。
そのうちに、
仏教にのめりこんで、
本当にこれが正しいのか不安になったのです。
もし、間違った道を進んでいたとしたら、
母への面目が立たない。

そう感じて、道元は比叡山を後にします。

道元はとてもお母さんのことを
大切に思っていたんですね。

そして、
納得のいく仏教を求めるべく、
臨済宗の栄西の弟子の明全と共に
中国へ渡ります。

道元は無事に中国へ到着して、
いろいろなお寺を巡りました。

その中で、
この人はすごい!と思う人に出会いました。
その人こそ、
彼が生涯の師と仰ぐ如浄(にょじょう)という人です。
坐禅が終わったあと、
道元は如浄の部屋を訪ね、
たくさんのことを学びました。
そして、その熱意と行いを評価され、
正統な弟子として認められるのです。

そして、中国から日本に戻り、
自分が学んできた仏教を伝えるべく、
京都府宇治市にある、興聖寺を建立しました。
そこで著されたのが『正法眼蔵』というわけです。

長くなってしまいましたので、
ここで一旦切りたいと思います。

次回から、
唯一無二の人生譚、
『正法眼蔵』始まります。

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