#23 努力か才能か
「あなたはできるからいいよね。」
私はこの言葉を聞くのが嫌いです。
自分の持ち物のせいにして、1ミリも努力しない人が言っているような気がするから。
私は自分のことを「諦めの悪い凡人」だと思っています。
何かをやりたいという欲が湧いたとき、自分には出来そうかではなく、どうやったら自分でも出来るようになれるかを一生懸命研究します。
そもそも到底無理な事柄に関しては、全くそういう欲すら湧かない。
自分も持っているはずのものを見たとき、体の中から湧き上がる底知れないエネルギーを感じる。
私にも得意なこともあるし、大した時間をかけずにできたものもあるけど、ほとんどは、どうにかこうにか努力でカバーをしてます。
夢中になっている間は、努力だと思ってやっていないので、わりと普通のことだと思っているんだけど、「自分の持ち物がいいから出来るんでしょ」という類の言葉は、私を壊れさせる。
昔、英語をわりと真剣に勉強していたことがあって、ある程度コミュニケーションが取れるようになった頃に、「きっと前世は外国人だったんだね」という言葉がどこかから投げ落とされてきて、私は言葉を失った。
きっと何度も転生してはいるだろうから、日本人じゃないときもあって自然だけど、そういうことじゃない。
私のこの英語に注いだ全ての時間とエネルギーを、全部なかったことにするんだなと、すごく悲しくなった。
きっと、その膨大な時間がなかったら、別にそんなこと言われても流せるんだと思うけどね。
その時点で、私は天才でもなんでもないんだと思ってる。
もしも世界に天才な人がいたとして、それは持ち物が良かったせいだと言う人がいたのならば、私は悲しくなる。
本当に自分の限界を見たなら、きっと天才を心から尊敬できるんだと思うから。
自分の役割をちゃんと全う出来るんだと思うから。
自分よりも優れていると思える人に出会ったとき、自分が劣っていると思うのは、別にその“すごい人”のせいじゃない。
その人の存在はあなたのことを何も脅かしてはいない。
私は順位がついてしまう関係のものが苦手なので、そこに関しては何とも言えないんだけれど、、
“できる”と“できない”は同じくらい価値があって、愛すべき部分なのだと思ってる。
人の持ち物は何でも羨ましく見えるけど、ちゃんと自分のカバンの中に入っているものを存分に使わないともったいないし、自分に失礼だ。
私は今日も、諦めの悪い凡人を楽しもうと思います。
のりこ
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