悪いのはあの人?
そう感じるときは、
「その人の言動の裏にあるものに悪意があると思うから」
つまり、自分が悪意と受け取っている。
「自分がその人の方を優先しているから」
つまり、自分が自分を優先していない。
「その人は自分中心でやりたいことをしている」
つまり、自分のやりたいことをしていない。
「自分が雑に扱われている、大事にされていないと感じる」
つまり、それを受け取っている。または、そうされる存在だと自分が思っている。
「あの人が間違っているから」
つまり、自分を正当化したい。
自分は正しい、悪いのはあの人という被害者意識でいる。その方が楽だから。
など、いろいろある。
ただ、相手がどうであれ、自分にはどうするかという選択権がある。
相手が優先という他人軸なら、自分軸に変えるという選択がある。
相手の勢いに臆することなく、自分の気持ち、やりたいことを優先すればいい。
それを躊躇してしまう背後には何があるかを探るという選択もある。
明らかに雑に扱われているのであれば離れるという選択がある。
離れるのが難しくても、受け取らないという選択がある。
相手に自分の思いを伝えるという選択もあれば、あえて言わないという選択もある。
私が正しい、あの人が間違っているという不毛な視点を手放すという選択もある。
自分は自分、あの人はあの人。
被害者でも、加害者でもない、という選択もある。
自分事として捉えると、できることが見えてくる。それは自分が悪いと捉えることではない。
もっと自分で自由に決められるということ。