人の反応はコントロールできない

先ほどR-1ぐらんぷりの一回戦に出場してきました。去年はエントリーしなかったので二年ぶりということになり、さぞ緊張してしまうのかと思いきや緊張のピークを二日前の夜に持っていった事によりかなり良い状態で舞台に臨むことができました。ここ最近で一番良い出来だったと思います。

自分にできる事は「2分間ネタをする」という事だけなので、それを受けてお客さんや審査員がどんな反応をするかはこちらではコントロールする事ができません。笑う、笑わないという判断を下すのはあくまで見ている人なので、それに対して「ウケた」「すべった」という感覚があり、その反応で試行錯誤することは出来ますが、本質的にはこちらにはどうしようもありません。

そんな事を考えているとお笑いは本当になんて難しいものなのだろうかと思います。「自分が満足するただやりたいネタをできればお客さんの笑い声なんていらない」なんて人はほとんどいないと思います。芸人である以上、というか人間である以上「人を笑わせる」という目的でやっている行為に「笑い」が無かったら嫌に決まっています。僕たちは何よりも人を笑わせる事が好きなので芸人をやっています。

しかし、「笑い」という事は人間の反応で一番正直なものと言われています。演劇や音楽では客席から何も反応が無くても、各々がそれぞれ色々な感情を抱え満足感に浸っているかもしれません。しかしお笑いにはそれがありません。お笑いライブで客席から全く笑い声が無いのに「最高のライブだった」なんて事はあり得ません。全て見ている人の反応によって成功か失敗か決まります。それも明確にわかってしまう。

自分がコントロールできない他人の「笑う」という行為にここまで左右されてしまうものが当たり前のように成立して、それに対して一番を決める大会があるという事が改めて不思議で理不尽で面白いと思いました。

「負けたけどやりきったので満足です」という言葉があまり好きでは無く、勝負事である以上絶対に勝つことが目標なのに何を言ってるんだと思っていたのですが、その勝ち負けが自分でコントロールできない分野なので、「自分にできることはやりきることだけ」と考えれば少し納得できる部分もあると気付きました。

何より自分の中の100点に限りなく近い点数を出せずに負けていくのはやはり不本意なので、今日に関しては満足です。



明日の「ドアノブの到着」でも同じ気持ちになれるように頑張ります。


頂いたサポートでドトールに行って文章を書きます