ピン芸人には物語が無い

「R-1グランプリに向けて考えたこと」というマガジンに収録されている記事です。記事単体で買うと300円ですが、記事を3つ以上購入する場合はマガジンの方がお得です。

チュートリアルさんのM-1を観てお笑いが好きになった自分が、漫才を好きになり、コンビが好きになり、同級生コンビが好きになるのはとても自然な流れで、その自然な流れのまま芸人になり、自然な流れでお笑い芸人が好きという内容のエッセイ本を自分で作って販売しています。

本を書いたのは2年前ぐらいで、その辺りから自分の中でコンビ芸人に対する熱が収まってきて、声を大にしていう事も無くなってきたのですが、緊急事態宣言を経てコンビが自主的にラジオを始めたり、ラジオアプリでのラジオが始まったりして、身近な芸人の知らなかったエピソードや関係性が見え始めて、「やっぱりコンビはいいなあ」とまた思うようになってきました。

芸人に関して思っている事は↑の本にほぼ全て書いているので、詳しくは書きませんが、「コンビを組んでお笑いをしている」という時点で「物語」になるというのが僕を含め、多くの人を惹きつける要因なのではないかと思っています。

これは芸人に限らず、様々なジャンルの人に対しても言えます。スポーツ選手とかアイドルとか、もっと言えば車とか家電にもすべてのものには物語があります。全てのものに歴史があり、それが物語を生み出していく。特に表舞台に立つものに対しては物語を感じやすい構造になっています(例えばデビューした時はあんなに緊張していたのに、今は堂々とパフォーマンスしているアイドルにグッとくる、みたいな事です)。

芸人に関して言えば「M-1グランプリ」という存在がコンビ芸人の物語化を急速に押し進めていったと思います。僕自身も「M-1グランプリ」を見てお笑いが好きになり、「M-1グランプリ」を軸にすれば簡単に物語を成立させることができます。権威ある大会というのはそれだけの力があります。「去年はウケたのに準決勝で落ちたコンビが今年は決勝に行った」というだけで、その背景にあるコンビの努力や苦悩を感じ取る事ができます。

ただ、そこで考えなければいけないのは、「今年はあのコンビが決勝に行った」というのはただの”事実”であって、決して”物語”というわけではないという事です。ちょっとややこしくてすみません。

芸人に関して物語性を感じ取るのはあくまで、コンビ本人ではなく傍観者である我々という事です。我々が勝手にそのコンビに物語を感じてそれで好きになったり応援したりする、という事があります。

それは言い換えれば、彼らに物語を押し付けているという事でもあります。物語とはフィクションであり、誰かが作ったもので、始まりがあれば終わりもあります。

すごく悪い言い方をすれば、コンビが解散したら「このコンビの物語が終わった(打ち切られた)」という感覚になってしまう危険性をはらんでいるという事です。

いくら物語性を感じていて、二次元的に見えてしまう可能性があっても、我々と同じ人間だという事は決して忘れてはいけないと思っています。自分に言い聞かせています。特にこれは僕の場合はアイドルに対して思ってしまう。

と、ここまで主に僕が「コンビ芸人に対して感じている物語性」について書いてきましたが、それを自分に向けてみます。つまり「自分と言う芸人に物語性はあるのか」という話です。

僕の考えではピン芸人には物語はありません。

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