自閉スペクトラム症とはなにか
ネット上に、自閉スペクトラム症の説明は多いから、それにまたひとつ教科書的な話を付け加えることはあまり役に立たないかも知れない。しかし、自閉スペクトラム症を認知神経心理学の側面から臨床的に解説しているネット上のテキストはあまり見かけないので、その話をしてみよう。
自閉スペクトラム症の認知神経心理学研究と言えば、なんと言ってもウタ・フリスである。日本語に翻訳されている著書では、「自閉症の謎を解き明かす」と「自閉症とアスペルガー症候群」が有名だが、どちらも版元品切れなので入手が難しいかも知れない。”Autism: A Very Short Introduction ” はコンパクトにまとまっていて、英語版なら容易に手に入るので、英語があまり苦にならない読者はぜひ読んでみて欲しい。(日本語版は「ウタ・フリスの自閉症入門」神尾・華園訳 中央法規出版(版元品切))
フリスは、神経心理学の立場から、自閉症においてなぜ対人コミュニケーションの問題が存在するのかを説明する5つの仮説を挙げている。
1)心を読むこと(mind blindness)
2)社会的であろうとする動因(共同注意)
3)脳のミラーシステム(模倣など)
4)弱い求心性統合(weak central coherence)
5)遂行機能(executive function)の障害
また、これらの全てに共通する性質として、中枢神経系の情報処理におけるトップダウン処理とボトムアップ処理のバランスがわるいことを指摘している。
リストの最初にある、心を読むことの問題は、一見わかりやすい説明のように思える。実際に、高機能で自分について語ることのできる自閉スペクトラム症のひとは、「自分は他の人のこころがわからない」と述べることがあるからだ。しかし、よく考えてみると、「心を読むこと」とは、どういうことなのだろうか。もちろんテレパシーの話をしているわけではない。普通は、「共感」という言葉で説明されているが、これは単なる言い換えで何も説明していない。
おそらく、「他の人のこころがわかる」というのは、パターン認識による直感と、経験的な推論とが一体になった何かだと思われる。たとえば、「塩を取れますか?」と食卓で言われて、「ハイ取れますが何か?」とは言わないで、「どうぞ」と食卓塩を渡せるのは、語用論的な判断ができているということだとされている。このような能力は、「共感」とか、「メタ知識」というようなことで説明するよりも、単に状況依存的なパターン認識または自動的推論として説明した方がわかりやすい。別の言い方をすると、「他の人のこころがわかる」ためには、他の人の言葉を単純に額面通りに取らないで、他にも数多くあり得る意味の多様な可能性のなかで、最も ”関連性”のある意味だけを取り出せるということが大切なのかも知れない。
2番目の社会的であろうとする動因の例として、よくいわれるのは、幼少時の共同注意の問題である。自閉症児は、興味を持ったものがあるときに、他の人と注意を分かち合おうとすることが少ないことがわかっている。定型発達児は、1歳前後から他の人がそれを見ることを期待していると理解できるような指さしなどの身振りをするようになる。このような行動は、他者と目的や意図を共有する行動と解釈されており、共同注意と名付けられている。実際に、自閉症児ではこのような行動の出現が遅れることがあり、幼児期の自閉症児のスクリーニングの際に重要な確認項目となっている。しかし、知的に遅れのない自閉スペクトラム症の場合には、成人期になっても共同注意行動が何も見られないということは考えられない。とはいえ、普通の意味での共同注意行動は獲得されても、「社会的であろうとする」という意味からいえば、成人期になっても他者や、自分が所属する集団に対して、「仲間」「われわれ」という意識を持ちにくい場合がある。このことのメカニズムが、幼少期の共同注意の問題と同じ基礎を持っているのか、なにか別の問題であるのかはわからない。
3番目の、脳のミラーシステムというのは、他者の行動を理解するための神経機構についての仮説である。「ミラーニューロン」は、猿の腹側運動前野のF5野を調べていた研究者が、猿が手で物を掴む行動をするときに発火するニューロンの一部が、研究者が手で物を掴む行動をとったときにも反応することに気がついたことから発見された。上側頭溝・下頭頂葉・腹側運動前野のミラーニューロンが、ひとつのシステムを形成することによって、自分と他者の行為を対応づける、他者の行為の意味を理解するなどの機能を担っているのではないかという考えである。
自閉症児では、模倣の出現が遅れる、あるいは部分模倣と呼ばれる徴候が見られることが知られている。部分模倣というのは、バイバイを模倣するときに、掌の部分を相手と同じ向きに揃えて模倣するために、手の甲を相手に向けてバイバイをするようなタイプの特徴的な模倣の仕方である。知的に遅れのない成人期の自閉スペクトラム症者でも、模倣の苦手さが見られることが多い。たとえばダンスのような一連の振り付けを真似させようとしても、なかなか学習できないタイプの患者さんもいる。これが、ミラーニューロンの問題と関連しているのか、それとも単に身体図式の統合の問題や、発達性協調運動障害の結果であるのかはわからない。
4番目は、著者のフリスらが提案した「弱い中心性統合」仮説である。中心性統合というのは、”全体としてのまとまり”という意味で、ふつうひとが ”文脈” と呼んでいるような全体性の中に個別のものを ”まとめる” ことができる能力を示している。しばしば、自閉スペクトラム症の小児は、カタログや図鑑のような、個別のものの羅列を好むことがある。このことは、しばしば健常の小児が物語としてのまとまりのある話を好むのと対照的である。この考え方は、臨床的には最も説得力があるように思われる。自閉スペクトラム症の専門家は、このようなバラバラな世界の見え方に、いつも驚かされているからだ。広い意味で言えば、いわゆる ”気が利かない” と言われてしまうような行動も、”文脈に気がつかない”ということのひとつの表れとも言える。
5番目の遂行機能(executive functions)は実行機能とも訳される。脳科学辞典の実行機能の項目を見ると、「実行機能とは、複雑な課題の遂行に際し、課題ルールの維持やスイッチング、情報の更新などを行うことで、思考や行動を制御する認知システム、あるいはそれら認知制御機能の総称である」となっている。このような機能は、人間が目標に向かった行動を取るために必要なものとされている。この定義から考えても、確かに自閉スペクトラム症のひとには遂行機能の障害があるのだが、厄介なことに、これは自閉症だけではなくて、様々な精神疾患で見られる症状なのだ。統合失調症でも、うつ病でも、外傷による高次脳機能障害でも、認知症でも、遂行機能の障害は起こる。したがって、もしも遂行機能障害を自閉症の原因仮説として考えようとするなら、他の疾患での遂行機能障害と何が違うのか明らかにしていく必要がある。
これら5つの原因仮説の全てに共通する要素として、フリスは「トップダウン処理とボトムアップ処理の不釣り合い」を挙げている。この考え方からすると、意味に基づく判断はトップダウン的だし、見たものに規則通り反応するのはボトムアップ的と言える。かつて、十一元三らは、神経心理学的課題を用いて、自閉症児において意味的なつながりよりも音韻的なつながりの方を優先して処理する可能性を示唆したが、このことはフリスの指摘と一致しているといえるだろう。
小児であれ成人であれ、自閉スペクトラム症のひとたちから見た世界を理解しようとすれば、このような認知神経心理学的な考え方を知る必要がある。逆に言えば、このような中枢神経系における情報処理の違いがある可能性を考慮せずに、日常的な人間理解の延長上で支援をしようとすると、善意からであっても不適切な支援につながる可能性があるということを意識しておくことが重要になってくる。こういう考え方は、一般の人にはすこし難しく感じるかも知れないが、機会があれば少しずつ具体例を挙げて説明してみたいと思う。
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