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タブレット純からふりかえる「昭和」

たまには、精神医学と関係ない話をしてもよいかなと思って、というよりも東京を離れてから落ち着いて過ごす時間が増えたので、精神医学以外のことを考える時間ができたということかもしれません。

わたしは、基本的にTVを全く見ないし、医者になってからは音楽も全く聴かなくなりました。もともと才能が乏しいので、他のことをする余裕がなかっただけとも言えますが。じつは、子供の頃はギターにあこがれて練習したこともあるし、ちょっとベースに手を出して自分のリズム感のなさに絶望したこともあります。もともと何事にも興味を持つ方で、絵画・建築や、デザイン・服飾から芸能・舞踏などにも興味を持ったことはあり、とはいえ自分に才能がないとわかるとすぐに完全に興味を失ってしまうという普通にダメな若者のひとりだったとおもいます。さすがに医学部に入ったときには、これがモノにならないともうどうにもならないなという追い詰められた状況で、才能も無いのにこれだけは必死で続けてきたのですが、それ以外はまったく黒歴史が多いのです。

それで、なんで「タブレット純」かというと、たまの休日にある楽曲の名前が思い出せなくて、なんだっけと昭和の日本アンダーグラウンドロックの動画を検索していたら、誰かのリストに紛れていたんですね。
TVをみないので、全く知らなかったんだけど、異常に声が良くて歌が上手なのでつい聞いてしまったわけです。
ちょっと何本か動画を探して見てみると、これが天才というか、才能のある実演家であると同時に解説者で、その道の先輩たちがみな喜んで共演しているんだけど、実際にインタビュアーとしても面白くて、加藤登紀子と喋っている動画を見てつい昭和について考えてしまったという話です。

タブレット純の歌手としての芸名は田渕純で、和田弘とマヒナスターズのメンバーとしてデビューしたんだそうです。相原の古本屋のアルバイトとか、歌声喫茶とか訪問入浴介護とか色々な仕事を経験したと他の動画で話をしていました。それも面白いのですが、加藤登紀子と共演した縁で対談している動画があって、それを見たわけです。

個人的には加藤登紀子に特別な思い入れはなくて、中学ぐらいの当時の家庭教師の影響で、家にあったガットギターにピックガードを貼りつけて勝手に金属弦を張って、ネックがそるので時々緩めたりしながらフォークソングを少し練習していた頃に、ちょっと聞いたぐらいなんです。それで、加藤登紀子が「歌謡曲に反感を持っていた」という話を聞いて、そうなのかと思ったんですね。わたし自身は、フォークからニューウェーブやテクノに行ってしまって、歌謡曲は全く聴かなかったし、まあ演歌やムード歌謡は論外だったわけですが、それで加藤が、家ではショスタコーヴィチやロシア民謡で、歌謡曲や演歌はダサいと思っていたというのはよくわかるのです。それはそうとして、タブレット純がステージで昭和歌謡曲などを歌うのを聞いて、加藤が泣けたという話が新鮮だったわけです。加藤の父が歌謡曲のマネージャーの仕事をしていて、自分もそういう曲を歌詞まで全部覚えているのに、自分の中でそんなものと抑圧してきた、その取り返しのつかなさを思うというのですね。

ちょうどいま、ホルクハイマーとアドルノの『啓蒙の弁証法』を読んでいたところで、かれらは、18~19世紀に花開いたブルジョア文化が、20世紀の複製時代に野蛮に踏みにじられていくという話をしているのです。まあ、ポピュラー音楽などというモノは、その野蛮な複製的大衆文化の最たるものなのです。しかし、いわゆる前衛的な表現者は、そのような消費文化の中で抜け道を探そうと時に悪あがきをするものです。おそらく、ムーブメントとしてのフォークにもそういう要素を探すことはできるし、パンクとかニューウェーブもそういう文脈の中にあるのだと思うのですが、結局のところ楽曲が商品として消費される構造の中では、すべては資本主義の手のひらの上で市場に回収されるはかない運命をたどります。それは知識人にとっては自明のことで、わざわざ小難しく議論する意味など何もないのですが、ただ、わたしより10年後から来たタブレット純が、プロの実演家でありながらそのことに埋没せずに、ひとりの解説者としてその歴史を理解した上であらためてその歌を歌うときに、同じ楽曲に新しい意味が生じることに驚いたのです。

加藤の言葉を借りれば、タブレット純が歌うと、「昭和の格好つけたギラギラしたもの」「おしゃれにしてるのにしみったれたところ」が抜けて、その楽曲そのものとして聞くことができるというのです。そのことにハッとさせられました。おもうに、そのギラギラしたものというのは、敗戦後の再資本主義化・経済成長の過程における、この「商品化の暴力」に対する感性的把握なのでしょう。だから、うたごえ喫茶出身の介護労働者でもあるタブレット純が、「よいとまけの歌」を歌ったときに、加藤は、「美輪さんが歌ったのよりもリアルに感じられる」と応じたのだと思うのです。(美輪明宏というのは魅力的な人物ですが、キラキラしているのは間違いないですからね。わたしはコロナ前に劇場にも見に行きました)

わたしたちは、そこから物象化ということの、大衆にとっての肯定的な側面をみつけだすことができると思うのです。これは竹内良知の議論に負うところが大きいのですが、物事がわたしたちにとって「対象」となるという意味での物象化は、わたしたちが中枢神経系を持った生物であることの必然であって、粗雑に物象化一般を否定するなどということは意味を持たない。ピアジェの言葉によれば、われわれが活動するときには常に内的なシェマへの同化としての行為があり、そしてこの行為を通じたシェマの調節がいつも同時に働いているわけです。このシェマへの同化がそのまま、主観的体験としては物象化に他ならないわけです。それと同時に、この対象化としての物象化とまったく同じ瞬間に、ただちにこの対象に対する言語的な水準での意味づけが作動し始めます。これがもうひとつの物象化、イデオロギー水準での物象化です。

ここで考えてみると、商品としての楽曲に伴っていた「昭和の格好つけたギラギラしたもの」としての商品化の暴力という後光は、楽曲が直接的な個々の演奏を離れたモノとして物象化していればこそ、物象としての楽曲から引き離される可能性を持つということになります。このことは、商品生産一般について同様に論じることが可能かもしれません。ここに生産者=表現者としての具体的労働者が、商品化の暴力の裏をかいて資本主義的な生産物としての楽曲や知識を自分自身に取り戻すための知恵をみることができるのではないでしょうか。

昭和歌謡は大衆の抑圧されたエネルギーを眠り込ませる高度経済成長の子守歌であったかもしれないけれども、「ヘーゲル法哲学批判」の表現に倣っていえば、”抑圧されし生き物のため息であり、心無き世界での心であり、魂無き状況での魂”であったことも確かなのです。そういう意味で、そのことに気づくこともなく昭和歌謡を単に劣等な商品的大衆文化としてしか見てこなかった自己の非について、加藤登紀子とともに、ひとりの天才=マレビトであるタブレット純にいま気づかされるのです。

参考 登紀子の「土の日」ライブVol.38「どうするタブレット純」



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