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『碧巌録』第六則雲門日々好日:二十四時間働く

「雲門日々好日」は人間であれば誰もが経験している身近な事が取り上げられているので気軽に読んでいただけると信じているが、言葉と表現が取りつき難い所がありますが、何度か読めば親しみが湧いてくると思います。

本則

す、雲門垂語して云く、十五日已前いぜんは汝に問はず、(なかばは河南なかばは河北。這裏しゃり旧暦日を収めず。)
十五日已後いご、一句をち来れ。(免れず朝より暮れに至ることを。切に忌む道著どうちゃくすることを。来日是れ十六。月日流るるが如し。)
自ら代って云く、日々是れ好日。(しう鰕跳かおどれどもを出でず。誰家たがやにか明月清風無からん。還って知る、海神たっときことを知りてあたひを知らず。)

本則の解説

此の垂示は難しく考える必要はなく、文字通り読めば良いので、雲門が修業僧に向かって今日一日修行が終わってそれ以降君たちは何をするのだと言っておるのである。

なかばは河南なかばは河北。」とは河南の中間から河北の中間迄と言い、一日の中間から次の日の中間迄を言うのである。

這裏しゃり旧暦日を収めず。」とは一日を月の周期に合わせず、新暦である太陽の周期に合わせたと言い、朝明るくなってから次の日の明るくなる直前迄の丸一日を言っているのである。

何故なら旧暦日だと太陽の出るのと起きる時間が毎日ずれて違ってくるからである。

修行が終わったからと言ったて無駄には過ごさず煩悩を断ち切って静寂に徹しますと言った応答をするものと思っていたが、誰も返事をしないので、雲門は皆に代わって禅の修行には二十四時間「日々是れ好日」と言ったと言うものである。

十五日いぜんは問わず十五日以後に付いて一言言って見よと言っても、「免れず朝より暮れに至ることを。」と言うように一日の始まりは夜が明けから、「来日是れ十六。月日流るるが如し」で次の夜が明ける迄の二十四時間と雲門は言うのである。

本則の評唱で圜悟克勤も「是れ他明日は是れ十六日とはず。」と言いたとえ十六日であっても座禅には夜明け迄は十五日であると言っておるのである。

しう鰕跳かおどれどもを出でず。誰家たがやにか明月清風無からん。」

しう鰕跳かおどれどもを出でず。」とは、ざっくばらんに言えば自然の外には出ることは出来ん、誰の家にも夜に成れば「明月」は差し込み「清風」は心を落ち着けるさせるではないかと言い、一日の中でも問題にしているのは夜に成ってからの暗い闇の時間をどのように過ごしているのかと問うているのである。

「還って知る、海神たっときことを知りてあたひを知らず。」とは夜の暗い闇の時間は昼間の疲れを取るために尊き時間に違い無いが、その働きの神秘に満ちた価値を知るものはいないと言う。

本則の評唱の解説

「雲門初め睦州に参ず。州旋機電転して、直に是れ湊泊し難し。」とは取りつく島が無い、睦州には人をして寄せ付けない厳しさがあることを意味する。

尋常人よのつねを接するに、総かに門に跨れば、便すなは搊住すうじゅうして曰く、へと、擬擬不来なれば、便すなはち推しいて云く、秦時のたく轢鑽と、」

搊住すうじゅうとは捕まえて抑え付けて離さずとの意味で、言え言えと言われたがそれに対して直ぐに返事がないようでは、役立たずがといって突っぱねたと言うのである。

そのような仕打ちにあっても雲門は三たび睦州の門をノックしたのである、すると空かさず睦州は誰だと言ったので、雲門は雲門文偃ですと答えた。微かに門が開いたので雲門は飛び込むように掛け入った。

やはり三たび接見を求めて、三たび問われ、三たび何も言えなかった、すると門を閉められ足を骨折させられて、その痛さに忽然として大悟したと言うのである。

ところがその意味は何処いずこにあるのか、そのまま言葉道理に受け取って理解しては、その真意を間違う事間違いないであろう。

禅とは理不尽な世界であることは解っていても余りにも無謀な行為ではないか。

そのような行為はパワハラでは済まず暴力沙汰であり、刑事事件として訴でえられること間違いない、それを有難いなどと考える人などは居らず、静かに修業を止めてゆくに違いない。

まあ待て動揺せず静かに聞け、この表現は方便であり睦州老人にはそれほど偉大であり届かないほどの威厳があると言う事じゃ。 だから雲門は「後来言脈人を接するに、一摸に睦州を脱出す。」、「某甲それがしが見処、従上の諸聖と、一糸豪許いっしがうばかりも移易いやくせずと」と言ってそのような危険極まる手荒な真似は継承しなかったと言っておるではないか。

話は変わって霊樹禅師の世にも奇妙な物語が始まるので混乱せずに好く整理して聞くように、雲門を失わないようにくれぐれも注意して読むように、雲門はこの話を見て大吾したのであり、その経緯いきさつが詳しく書かれているである。

雲門は奇妙な物語の一部始終を見て大吾したのであるが何処でどのようにして見ていたのか注意しながら読むように、でなければ頌の意味が理解できないであろう。

霊樹禅師は二十年前より「首座を請せず」と言って首座を置くことは無かったにも拘らず常に首座が居るかの如く「我が首座生ぜり。又云く、首座牧牛せり。」などと一人言を誰も聞いていないにも関わらず言っていたのは良いが、ついにある日鐘を鳴らすように言い、今日首座が来られるから皆な集まるようにと周知したのには皆は驚き怪しんだ。

しかして雲門が突然現れたのには二度驚いた。

霊樹禅師は知聖禅師とも言い「過去未来の事皆あらかじめ知る。」能力があった。

その霊樹禅師には何時も相談を受ける親しい広主劉王がいたのであるが、その広主劉王が将に戦いを起こさんとして、霊樹禅師のもとを訪れて戦いに行くべきか、とどまる方が良いか聞いた上決定を下そうとしたのであった。

所が霊樹禅師は広主劉王が相談をしに来る前に既に状況を知っていたので「怡然いねんとして坐化」したとは、喜んで死くなったのであった。

それを知った広主劉王は霊樹禅師が何時から病気に成っていたのか、何故教えてくれなかったのかととても怒って言ったのである。

いいえ霊樹禅師は悪い所などは無く、直前までとても健康いられましたと言って、盆の上に載せられた一通の手紙を渡されて、広主劉王が来られたら渡すように言いつけられたと言った。

その手紙には「人天の眼目、堂中の首座と」書かれているのをみて、広主劉王は悟って戦いを思いとどまって、雲門を招じて霊樹院に住むことになった。

「劉王後に霊樹禅師におくりなして知聖禅師となす。霊樹禅師は生生つうを失わず。雲門は凡そ三生王と為る。所以このゆえつうを失す。」

これが雲門が何故どのようにして大悟したのか詳しい経緯いきさつである。

霊樹禅師とは雲門の瞑想の主人公であって一度亡くなって広主劉王が霊樹禅師の生まれ変わりとして生きていたと言うことは、「大死一番」(大悟)したことを表現しているのである。

雲門は三たび睦州の詰問に会い無駄な戦いを思いとどまって「大死一番」(大悟)したと言うことは、何も思わず考えず力を抜いて睦州に接見したのであった。

瞑想はまだ続く、夏安居の始まり、名前は不明であるが数人が交互に説法をする、ところがただ一人一偈を書いて「禅門は黙によろしくして喧によろしからず。」と壁に貼り付けて終った。

さらに瞑想の続きは「香林十八年待者と為る。凡そ他を接するに、只遠待者とぶ。遠云く、諾。門云く、是什麼なんぞ。此の如くすること十八年。一日方に悟る。」そ意味は香林は瞑想の主人公でその香林に向かって毎日話かけたところ毎日応答したと言うことであるが、雲門はその瞑想に毎日影響を与えたと言う事である。

の語すでに千差を坐断す。」と言う事で雲門は「多く睦州の手段をもちふ。只是れ湊泊を為し難し。」と言うことは睦州のような暴力は使わないが、一言二言の短い言葉で以てその用を果たしたのである。

同じ意味の「雲門一句のうちに、三句ともそなわる。」もくどいようだが、瞑想として、ずさんに考えないようにと注意をするのである。



一を去却こきゃくし、(七穿八穴ひちせんはっけつ什麼いずれの処に向かってか去る。一著を放過す。)七を拈得ねんとくす。(拈不出ねんふしゅつ。卻って放過ほうかせず。)
上下四維等匹無しゆいとうしつなし。(可似生かじせい。上は是れ天、下は是れ地、東西南北と四維と、什麼なん等匹とうひつか有らん。争奈いかんせん柱杖しゆじゃう我が手裏しゅりに在ることを。)
おもむろに行いて踏断たふだんす流水の声。(脚跟下きゃっこんかを問ふこと莫れ。体究を為なし難がたし。葛藤窟裏に打入し去り了れり。)
ほしいままに観て写し出す飛禽の跡。(眼裏がんり亦此の消息無し。野狐精の見解けんげ依前いぜんとして只舊窩窟裏きうくわくつりに在り。)
草茸茸くさじょうじょう。(脳後にく。是れ什麼なんの消息ぞ。平実びゃうじつの処に堕在だざいす。)煙羃羃けむりべきべき。(未だ窩窟くわくつを出でず、足下雲生ず。)空生巌畔花狼籍くうしょうがんはんはならうぜき。(什麼の処にか在る。不喞溜ふしつりうの漢。勘破了也かんぱりょうや。)
弾指だんじして悲しむに堪えたり舜若多しゅんにゃた。(四方八面盡法界じんほっかい。舜若多の鼻孔裏びくうりに向かって一句をち来れ。什麼の処にか在る。)
動著どうじゃくすることなかれ。前言何ぜんげんいずくにか在る。動著する時如何。)動著すれば三十棒。(自領出去じりょうしゅっこ、便ち打たん。)

頌の評唱とその解説


『碧巌録』第五則の「 雪峰尽大地」の垂示で「照用同時、卷舒けんじょひとしく唱え、理事不二、権実ごんじつ並べ行ふ。」と学んだように禅では「「照用同時、理事不二」、「権実ごんじつ並べ行ふ。」と言うように先ず実例を取り上げそれから理論なり抽象的な話に進むのが慣例であるがその逆もある。

雲門の瞑想が実例であり「頌」が抽象的な解説と言う事に成る。

「一を去却こきゃくし、(七穿八穴ひちせんはっけつ什麼いずれの処に向かってか去る。一著を放過す。)七を拈得ねんとくす。(拈不出ねんふしゅつ。卻って放過ほうかせず。)」とは、やはり『碧巌録』第五則の「 雪峰尽大地」の垂示で、「一著を放過して、第二義門を建立す。」とは「照用」の文字から「用」を放却し打ち捨ててしまえば「照」だけが残ってもその行動の意味が解らなくなってしまうのである。と言ったが、瞑想は穴だらけで辻褄が合わないことが多いが「照用」の「照」だけが映し出されるからであり、話の筋道や意味は解説されないのである。

つまり瞑想は穴だらけの映像だけが映し出されるから「七穿八穴ひちせんはっけつ什麼いずれの処に向かってか去る」か解らないと言う。

「七を拈得ねんとくす。(拈不出ねんふしゅつ。卻って放過ほうかせず。」とは、瞑想の映像は「卻って放過ほうかせず。」と言って雲門はその瞑想の内容を記憶に残して決して忘れることは無いと言う。

「上下四維等匹無しゆいとうしつなし。(可似生かじせい。上は是れ天、下は是れ地、東西南北と四維と、什麼なん等匹とうひつか有らん。争奈いかんせん柱杖しゆじゃう我が手裏しゅりに在ることを。)」

瞑想には原理原則秩序は無く上にも下にも四方八方、東西南北どちらに広がり進むのか解らないけれども「争奈いかんせん柱杖しゆじゃう我が手裏しゅりに在ることを。)」と言い、そんな無秩序で混沌とした瞑想であっても主導権は我が手にあり決して離しはしないと言う。

混沌とは天地開闢の二元対立の始まる前の自由闊達な心の状態にあることであり言葉になる前の声前の一句を意味するのである。

圜悟克勤は頌の評唱で「須らく是れ語句未生已前いぜんに向かって、会取えしゅして初めて得べし。」と言い、やはり言葉になる前の二項対立以前の体験であるから「上下四維等匹無し」と言い比較や対立の無い世界だと言う。

おもむろに行いて踏断たふだんす流水の声。(脚跟下きゃっこんかを問ふこと莫れ。体究を為なし難がたし。葛藤窟裏に打入し去り了れり。)」とは。釈迦も老子も悟ったあと三十七日中「是の如き事を思惟す。諸法寂滅の相、ことを以てぶ可からず。」と言う。

ほしいままに観て写し出す飛禽の跡。(眼裏がんり亦此の消息無し。野狐精の見解けんげ依前いぜんとして只舊窩窟裏きうくわくつりに在り。)」とは、自由闊達に流れ進む瞑想の跡は目で見ることでは出来無いにも拘らず「野狐精の見解けんげ依前いぜんとして只舊窩窟裏きうくわくつりに在り。)」とは、いまだ悟りを得ていないにも関わらず悟ったかの如く振る舞う野狐精は「舊窩窟裏きうくわくつり」を抜け出すことは出来ず旧態依然のままだと言う。

草茸茸くさじょうじょう。(脳後にく。是れ什麼なんの消息ぞ。平実びゃうじつの処に堕在だざいす。)煙羃羃けむりべきべき。(未だ窩窟くわくつを出でず、足下雲生ず。)」とは、瞑想だ座禅だと騒いでいても草茫々煙モクモクでは煩悩は決して無くなりはしない。

空生巌畔花狼籍くうしょうがんはんはならうぜき。(什麼の処にか在る。不喞溜ふしつりうの漢。勘破了也かんぱりょうや。)」とは、須菩提が洞窟の中で瞑想をして天帝釈がその真剣さに讃嘆して花の雨を降らしたと言うが、その真意とは何か、「天曰く、尊者無説、我乃ち無聞、無説無聞、是れ真の般若なりと云っ」たと言うように無聞とは悟りを求め無い、救いを求めない、悟りを求める限り悟りは永遠に逃げてゆくだろうと言う。

弾指だんじして悲しむに堪えたり舜若多しゅんにゃた。(四方八面盡法界じんほっかい。舜若多の鼻孔裏びくうりに向かって一句をち来れ。什麼の処にか在る。)」とは、悟りを求め無いとは身を捨て心を捨て全てを捨て無一文に成って「虚空を以て体と為し、身無うしいて触を覚す」と言い耳や目で物を見ずと言うのであるがそれを見ている舜若多は嬉しいと同時に悲しむに堪えないことであると言う。

動著どうじゃくすることなかれ。前言何ぜんげんいずくにか在る。動著する時如何。)動著すれば三十棒。(自領出去じりょうしゅっこ、便ち打たん。)」とは舜若多に取っても悲しむに堪えないけれども「動著どうじゃくすることなかれ。」と言う。

前言何ぜんげんいずくにか在る。動著する時如何。」と言うが「前言ぜんげん」とはどのような言葉であるか覚えているだろうかと問う。

それは本則の評唱で「雲門初め睦州に参ず。州旋機電転して、直に是れ湊泊し難し。」と言った言葉である。

さらに「動著する時如何。」と問う、

「旋機電転」とは天地がひっくり返ったよな驚きで、そのような時でも「動著すること莫れ」と、ビクビクするなと言うのである。

圜悟克勤は頌の評唱の最終で「雪竇まさに好し弾指だんじして悲歎するに。又云く、動著すること莫れと。動著する時如何。白日晴天。眼を開いて瞌睡かっすいす。」という。

「白日晴天。眼を開いて瞌睡かっすいす」とは、雲門は睦州に三たび接見を求めて、三たび問われ、三たび何も言えなかった、すると門を閉められ足を骨折させられて、その痛さに忽然として大悟した時である。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


参考文献 
『碧巌録』朝比奈宗源訳注 上中下 岩波書店
『碧巌録』大森曹玄著 上巻 下巻 栢樹社

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