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オレオレ詐欺と主客未分

人は何故かんたんに騙されるのか。

それは主客未分をりようするからです。

オレオレ詐欺は孫と言って電話をしますよね。

おじちゃんおばちゃんにとって孫は主客未分の関係にあるからです。

孫の苦痛は自分の痛みでもあるからです。

孫と自分は一心同体なのです。

目に入れても痛くないほど可愛いのです。


夏目漱石の『坊つちゃん』の坊つちやんと清 の関係も主客未分だったのです。

実際の漱石にも清にかわるおばちゃんがいたようです。

そのおばちゃん思いの漱石の言葉は心と言葉に虚為がないのです。

それが純粋経験で主客未分の状態なのです。

西田幾多郎は『善の研究』で「純粋ならしむる者はその統一にあって、種類にあるのではない。」といいます。

心と言葉に統一があれば純粋経験なのです。

坊つちやんが褒めたのはお世辞でもなければ甘えでもないのです。

そのおばちゃん有って文豪漱石があるといっても過言ではないほど一心同体だったのです。

なぜなら「おやじはちっともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓(ひいき)にしていた。」

「おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目(だめ)だ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らな」かったのです。

そのおばちゃんに何のお礼も出来なかった漱石の心残りは『坊つちゃん』で言うよりほかなかったと考えられるのです。

西田幾多郎は「即ち統一作用が働いている間は全体が現実であり純粋経験である。」いうのです。

虚為や虚構の世界は心と言葉や行為に乖離があるから純粋経験では無いというのです。

統一とは主客未分とは同意語であり主客未分=統一の関係にあるのです。

難しく考える必要はないと思うのです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


引用参照は青空文庫です。

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