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瞑想6:明晰夢でトラウマが消えた


漱石が明晰夢を見ていた可能性について検証しました。

『それから』の夢にいくつかの明晰夢の特徴が一致するのです。

明晰夢とは夢を見ながら夢を見ているという自覚を伴う夢です。

その夢は何度も見る夢で明確に映像が記憶に残っている夢なのですが、

ところが現実にはあり得ない矛盾が存在するのです。

なにしろ現実では無く夢に違いないのです。

『それから』の代助のしばしば「半鐘」の音と共に見る夢がありました。

そこで「半鐘」という文字を漱石の作品から探して見つけてきました。

『硝子戸の中』の中にとても興味のあるところがありました。

それは幼い時の曖昧な記憶でした。

漱石の幼少年期は家族とともに激動の時代を向かえるのです。

父の代まではとても裕福な生活をおくっていました。

当時としては玄関や硝子戸の有る家は町内では夏目家だけでした。

ところが漱石が生まれる前後の年に盗賊が押し入って50両ほど盗られたのです。

その話を聞いたのが何時かは不明なのですが、

漱石は妻が漱石の兄から聞いたのを間接的に聞いた話なのです。

さらに漱石が『硝子戸の中』で書いているのは推測によるものなのです。

しかし『それから』の代助の夢に現れる重要なキーワードがでてきます。

推測によるものが事実と違っていても夢による加工と考えられるのです。

それが明晰夢の特徴であるからです。

漱石の姉が夜中に外に出て用を済まして中に入ったのですが、

ちらりと灯かりが見えたのでもう一度戸口を開けた途端に賊が惜し入ったのでした。

姉が何故もう一度戸口を開けたのかは漱石の想像です。

その想像とは姉は灯りを火事ではないかと思ったのです。

これは想像であって漱石が聞いた体験ではないのです。

姉が火事だと思ったのかそうでないのかは問題ではないのです。

何故漱石が姉から聞いていないのに火事だと想像したのかそこが問題なのです。

その発想は代助の明晰夢の分析から来ていたと考えられるのです。

『硝子戸の中』は『それから』の後で書かれているのです。


明晰夢についてはほんの2,3日前しったのですが驚くほど報告がありました。

明晰夢の研究はいろんな大学で行われており広く認められているのです。

そこで代助の夢と明晰夢の関係がありそうなのでまとめようしました。

しかし複雑すぎて考えがまとまりませんでした。

そこで代助の夢の問題を私の夢に託しました。

そうしたら整理できたので今書いているところです。

明晰夢は睡眠から5時間ぐらいおいて2度寝すると見られるようです。

さらに訓練をすれば夢を自由にコントロールできるようです。

ところが代助はすでに夢を自由にコントロールしょうとしていたのです。

代助は次のように言っております。

「三四年前、平生の自分が如何にして夢に入るかと云う問題を解決しようと試みた事があった。」

これは明晰夢の実験に違いありません。

はたしてその後代助は明晰夢のコントロールに成功したでしょうか。

一年後明晰夢を再度実行しました。

それは夢の中へ「正気の自己の一部分を切り放して、そのままの姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方」法をおこなったのです。

代助はこのように言います。

具体的にいいますと、昼間かかえていた問題を「夢の中へ譲り渡」したというのです。

言い換えると、解決できない難問を夢の中へ持ち込んだらいつのまにか解決していたというのです。

私が明晰夢と代助の夢との関係に混乱していたのですが、

それを私の夢に託したら解決できたのは明晰夢の効果だったのです。

わたしが気づいていなかったのですが私は明晰夢を実行していたのです。

誰もがふだん経験しながら気がつかないだけかも知れません。


代助も2度寝をしていたのです。

しかも何度も同じ夢を見ていたといいます。

浮揚体験もしていますね。

さらにその夢をしずかに見ているだけで身体は反応していません。

覚醒しているのは脳の一部だけだったのです。

代助は次のようにいいます。

「その時代助の脳の活動は、夕闇を驚ろかす蝙蝠(かわほり)の様な幻像をちらりちらりと産み出すに過ぎなかった。その羽搏(はばたき)の光を追い掛けて寐ているうちに、頭が床(ゆか)から浮き上がって、ふわふわする様に思われて来た。そうして、何時の間にか軽い眠に陥った。
 すると突然誰か耳の傍(はた)で半鐘を打った。代助は火事と云う意識さえまだ起らない先に眼を醒(さ)ました。けれども跳ね起きもせずに寐ていた。彼の夢にこんな音の出るのは殆(ほと)んど普通であった。」(『それから』)


さて「半鐘」の音にもどります。

夢の世界は言語的思考ではなく、イメージ的思考だと思われるのですが、

漱石には『硝子戸の中』の「カンカンと鳴る西閑寺の鉦の音」に悲しい記憶が残っていたのです。

その西閑寺の隣に豆腐屋があって「豆腐屋の隣に寄席(よせ)が一軒あったのを、私は夢幻(ゆめうつつ)のようにまだ覚えている。こんな場末に人寄場(ひとよせば)のあろうはずがないというのが、私の記憶に霞(かすみ)をかけるせいだろう、私はそれを思い出すたびに、奇異な感じに打たれながら、不思議そうな眼を見張って、遠い私の過去をふり返るのが常である。」(『硝子戸の中』)

「豆腐屋の隣に寄席」があったとの記憶は、実は夢なのです漱石はそれをしっているのです。

だから場所的にありえない「人寄場」が「奇異」であり「不思議」な記憶なのです。

その後「夢としか考えられないのである。」といいます。

人の記憶とは夢の世界と現実の世界が融合しているようです。

漱石はイリュージョンと現実を明晰夢で自覚したのではなでしょうか。

『硝子戸の中』の中ではその近辺の竹藪を恐ろしい記憶とともに「半鐘」が関係していたのです。

漱石のトラウマとは「半鐘」ー「火事」ー「盗賊」のイメージ連想だと考えられるのです。

代助は臆病に育ったのですが「二十世紀の日本に生息する彼は、三十になるか、ならないのに既に nil(ニル) admirari(アドミラリ) の域に達してしまった。彼の思想は、人間の暗黒面に出逢って喫驚(びっくり)する」ことはなかったのです。

明らかにトラウマを解決したと言っているのです。

トラウマは幻覚だと明晰夢で自覚したと考えられるうのです。

私も道に迷うという夢を何度か見ました。

私はそのつど家に帰れないのではないかと不安になりました。

そこで夢の中でここは家であるから心配しなくてよいのだと夢に語りかけました。

すると不安が消えたのです。

それいらい道に迷うという夢は見なくなりました。

このような体験をされている報告が少なからずあることを知ったのはさいきんです。

不思議でもなんでもないたいけんでした。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

参照は青空文庫です。

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