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「虹」の多義性


虹の意味


 先月17日の相島(福岡県新宮町)の観音遷座際(通称「ドンドンカン」)を拝観するための渡島中に海原を這うような虹を目にしたことについて、今年は神宮寺の中澤慶輝住職の急逝により従来の賑やかな形では行なわれなかったものの、島民の方々が直接体験した観音様の不思議なご利益の話を耳にしたり、私自身も不思議な体験をしたりで、この虹の出現は何を意味していたのだろうか?と自問することになった旨を前回は述べました。

 そこで「虹」について改めて調べてみると、以前「龍神考」で論考してきた内容に符合する情報も含め、参考になるところが多々ありました。

 ウィキペディアの「虹」の記事を読むと興味深い内容が盛りだくさんですが、今回は冒頭の自問に関係してくる部分(「伝承」の項目)を以下に抜粋引用します。


キリスト教においては虹は「神との契約」「約束の徴」を意味する(創世記9章16節)。「神話の虹」を参照
中国には虹を龍の姿とする言い伝えがある[90]。明確に龍虹と呼ぶ地域(広東省増城市)や、「広東鍋の取っ手の龍」を意味する鑊耳龍(広東省台山市)と呼ぶ地域もある。
虹を蛇の一種と見なす風習については「虹蛇」を参照
中世の日本では、虹の見える所に市場を立てた[91]。これは市場が、天界や冥府といった他界と俗界の境界領域に立てられるものという考えに基づき[91]、現代の感覚では理解しづらいが、墓場にすら市が立てられたのも境界領域と見られていたためであり[91]、『万葉集』において、柿本人麻呂が亡き妻を想って、「軽の市」に行き、妻をしのぶ歌を作ったのも、こうした考え方に基づく[91]。『枕草子』において、「おふさの市」=虹の市が登場し、中世の書物や貴族の日記にも、虹の立つところに市を立てなければならないという観念が確認でき[91]、これは虹が天と地の懸け橋という考え方に基づいていたためと見られ、神々が降りる場であり、それを迎える行事として市が開かれたと考えられる[92]。また中世貴族は虹が確認されれば、陰陽道天文博士にそれが吉凶どちらかの予兆か占わせた[91]ブロニスワフ・マリノフスキは、西太平洋のトロブリアンド諸島のクラと呼ばれる部族間の原始的交換儀式の際、呪術師に虹を呼び出す呪詞が唱えられる事例を報告しており、虹と原初的市の関係の古さが分かる[92]
虹の根元にはお宝が眠るといった言い伝えもみられる[90]
一方で、アイヌ民族は虹をラヨチと呼び、魔物として恐れていた(後述書 p.157)。このことに関して、中川裕は、美しいものに魔物が惹きつけられる(狙う)という考え方と関係すると指摘している[93]アイヌ語で魂をラマッ、死ぬことをライといい、ラ音には不吉な意味が含まれる)。

ウィキペディア「虹」の「伝承」より

 この引用部分から拙稿に必要な情報を箇条書きに整理しました:
・中国には虹=龍の観念があり、「龍虹」なる言葉も存在
・中世日本では虹の立った場所に「市」を開いた(「軽の市」「おふさの市」等)
・虹→俗界と他界の境、天地の懸け橋、神が降臨し神を迎える場
・キリスト教における虹=「神との契約」「約束の徴」
・西太平洋トロブリアンド島では部族間の原始的交換儀式で虹を呼ぶ呪詞を奉唱
・中世日本の貴族は、虹が確認されるとその吉凶を陰陽師に占わせた 
美しいものに魔物が引き寄せられると考えるアイヌは虹を魔物と恐れた

 虹=龍の観念はよく話題にされますが、今回その詳細には触れず、虹=龍を前提として話を進めていきます。

 この前提に立つと、中世日本では虹の立った場所に市が開かれた、否むしろ市は虹の立った場所で開くべきであるという観念があったことは、以前「龍神考」で龍と交易との深い関係性を指摘してきたことに符合するのです。


虹=龍と市=墓


 龍と交易との関係性について簡潔に振り返り、最近新たに気づいた点も含めて、次のとおり整理しておきましょう:
・日本など海洋地域の交易を支える船は南洋系の言語で「ワ」「ワニカ」「ワア・ヌイ」など、対馬方言でも大型船を「ワニ」と呼ぶ→豊玉姫(龍女)の出産時のお姿は「和邇」(爬虫類のワニの体も上から見ると船のシルエットに似ている)
・古代中国では龍の頭=ラクダ腹=蜃(みずち=ハマグリ説が有力)
・内陸地域の交易を支えるラクダ=「砂漠の船」胴体はハマグリの形に酷似
・ハマグリは粘液を蛇のように延ばして海流に乗り、遊泳移動が可能
・蜃(ハマグリ)が吐く蜃気楼の異称に「市」が多い:「山市」「海市」「蜃市」
・貝殻の一致を当てる「貝合わせ」にハマグリを使用→ハマグリは等価交換=市場取引の原則の象徴

「龍神考」ではこのように龍と交易、「市」との関係の深さに気づかされることになりましたが、その上でウィキペディアの「虹」にある通り「虹=龍」とすれば、中世日本において虹(=龍)と市の密接不可分な関係が意識されたことは、むしろ当然だったと納得できます。


 また「虹」の記事には、虹が他界と俗界の境界であり、現代的感覚とは異なり、「墓場にすら市が立てられた」と特記されていますが、これも「龍神考」で述べたように、龍が人間も含む「あらゆる動物の祖」と考えられていたことを思い出せば違和感は消えていきます。

 日本神話でも国土と神々をお生みになったイザナギノミコトとイザナミノミコトは私たちの遠祖でもあり、管見ではイザナギノミコトを「太祖神社」の社号で祀る神社が福岡県内にいくつかあります。

 そのイザナギ・イザナミの二神は高天原から一旦「天浮橋(アメノウキハシ)」に降りられますが、この「天浮橋」の実体も虹とする説がありますが、「遠祖」=「龍」が「虹」の形で姿を現すという信仰思想に符合する説だと思います。

 墓は先祖代々の霊の存在を感じて祀る場所であり、「遠祖=龍」ならば、「市」の場所とされた虹=龍が立った所と墓には共通点がある点に気づきます。

 虹と墓は、虹は臨時に龍(先祖霊)が現れる形墓は常時先祖霊(龍)がいる場と考えれば、「先祖霊の存在」という共通点があります。

 これは、相談者の先祖霊を自らに憑依させて、先祖霊からのメッセージを相談者に伝える巫女を「イタコ」や「イチコ」などと呼んできた信仰思想上の背景を示唆するものでもありましょう。

 つまり「イチコ」=「市子」とすると、先祖霊が常在する場(墓)または虹の形で臨時に現れた場である「市」で先祖霊の言葉を伝言する巫女だからこそ「市子」と呼ぶようになった、と考えられるでしょう。


 こうして見ると、「市」での取引は神や龍、祖霊が常時いる場所または虹の形で臨時に降臨する場所で行なうべき、神事に準じるものという観念が窺えます。

 この観念はキリスト教における「虹=神との契約」とする考え方にも、西太平洋トロブリアンド島での部族間の原始的交換儀式で虹を呼ぶ呪詞が唱えられたこと、すなわち虹=神や祖霊の臨時の降臨を祈る習俗にも通じるものがあります。

 本来日本の神事もその都度神を招いて行なわれ、神事が終わると神にお帰りいただいていたのであり、社殿を設けて神に常時御鎮座いただくようになったのは仏寺の影響によるものと云われています。


墓場であり市場でもある貝塚?


 さてハマグリに話を戻すと、縄文時代の「墓」である貝塚から出土する貝殻の約8割がハマグリである点も意味深長です(下記サイト参照)。



 なぜなら虹(=龍)が立つ場所=他界と俗界の境界=墓場に市を立てることは、中世だけでなく縄文時代に遡る可能性が見えてくるからです。

 個々の貝塚が墓場であると同時に市場でもある可能性を一つひとつ検証していくと興味深い発見が続々と出てくるように思いますが、その格好の事例として福岡県新宮町の夜臼(ゆうす)貝塚と夜臼の産土神である高松神社が挙げられます。

 夜臼貝塚は籾痕付きの縄文土器=夜臼式土器の標識遺跡として考古学上有名で、このタイプの土器の出土によって農耕が縄文時代に行なわれていたことが判明し、縄文・弥生の端境期の遺跡を特定していく手がかりにもなります。

 その夜臼貝塚の近くに御鎮座の夜臼の産土神、高松神社は神大市姫命(カムオオイチヒメノミコト)を祀り、市場を主宰する女神とされ、創祀年代は御由緒によると「神代」に遡るそうですが、「神代」を縄文時代と仮定すると、この御由緒が現実味を帯びてくるのではないでしょうか?

 カムオオイチヒメは大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘にして、須佐之男命(スサノオノミコト)の妃であり、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)=稲荷大神の母になりますが、高松神社は立花山から続く丘陵帯の先端の小高い丘にあって、その周辺は古代は海(入江)でした。

 つまり、立花山をオオヤマツミに見立てると、その丘陵が海に出る岬に娘のカムオオイチヒメが感得され、周辺に風波で吹き上げられた海砂(イザナギノミコトに海原を治めるよう命じられたスサノオの異名、須賀大神の須賀は「砂」の意)と接触することがスサノオとカムオオイチヒメの婚姻と観想され、岬の下の砂浜で開かれた市へ稲が輸入・取引されたことがカムオオイチヒメをウカノミタマ=稲荷神の母とする神話に昇華されていったと考えられます。

 新宮町のある郷土史家からは、高松神社の周辺で立花山の山の幸と相島の海の幸が交換されていた可能性を指摘されましたが、まさに慧眼だと思います。

 相島鎮守の若宮神社の御祭神は海神の娘、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、すなわち龍神の娘=龍女であり、天孫=邇邇芸命(ニニギノミコト)の三男である彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)と結ばれて、人皇初代神武天皇の父、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を渚でご出産の際に「和邇」や龍の姿に化身したとされますが、「和邇(ワニ)」は前述の通り対馬方言で大型船を意味し、トヨタマヒメは対馬で最も有名な神社の一つ、和多都美神社の御祭神でもあります。

 ニニギ→ヒコホホデミ→ウガヤフキアエズ→神武天皇の系譜に「稲魂」を認める説がありますが、トヨタマヒメが渚で「和邇」=龍=船のお姿でウガヤフキアエズ=「稲魂」を出産された神話は、渚に着いた船から稲が荷下ろしされたことの暗喩と受け止めることもできます。

 稲を運んできた船が着いた渚は多分「市」の場所やその近傍でしょうし、すると渚と接する岬の高松神社に御鎮座で稲荷神の母でもあるカムオオイチヒメは、次のようにトヨタマヒメと似た性格をお持ちであることに気付かされます。

高千穂降臨の天孫→山幸彦(✖️豊玉姫=海神の娘)→ウガヤフキアエズ=稲魂
大山津見→神大市姫=山神の娘(✖️須佐之男=海砂)→ウカノミタマ=稲荷神

 このどちらも、「山の神霊」「海の神霊」の掛け合わせが「稲魂」であることを示唆しているのは、日本が海に囲まれた山岳中心の島国である特徴にも符合して興味深いです。


吉凶の分かれる市と虹


 ところで、「市」では取引が必ずしも成立するとは限りませんし、成立しても、当事者の一方は得をし、他方は損をしたと内心では思うこともあります。

 あるいは、新たに生じた取引関係が今は良縁だと思われても、後に悪縁だったと判明する場合もあり、また当事者双方の志向がそのうち変わって縁が切れる展開もありうるでしょう。

 さらに、「市」で手に入れた一見美しく珍しい輸入品が後に諍いの原因となったり、さまざまな不幸を招き寄せることもありますが、それは、「美しいものに魔物が惹きつけられる」とする、上掲引用部分のアイヌ民族の考え方に通じるものでもあります。

「市」での取引成立は必ずしも吉とは限らず、凶と出る場合もあるのです。

 上掲引用部分の中に「中世貴族は虹が確認されれば、陰陽道の天文博士にそれが吉凶どちらかの予兆か占わせた」とあるのは、虹の立った場所で開かれる「市」での取引の吉凶が分かれるという経験則にも基づいているのではないでしょうか?

 先ほど、稲を運んで渚に着いた船(和邇)にトヨタマヒメを喩えましたが、ヒメは御子ウガヤフキアエズ=稲魂のご出産にあたり、その様子を覗き見ないようにとヒコホホデミに事前に告げられましたが、実際には約束に反して見られてしまったことから、海に帰って海中と陸地との道を閉ざしてしまわれます。

 これは「市」が開かれている砂浜に商品を運んだものの、取引条件が守られず、不快な思いで以後の取引を止めた、とも言い換えることができるかもしれず、約束を反故にされたトヨタマヒメにとっては、虹の立った場所での「市」での合意は凶と出たことになります。

 他方稲荷神の母となられたカムオオイチヒメについては詳細な記述がなく、吉凶は不明です。

 昨年の8月27日夕刻、スマホの機種変更をした後にこの高松神社に通りかかったので参拝し、早速新しいスマホで社殿などの写真を撮って帰路につき、少し歩いてから振り返ると、「市」を主宰する女神を祀る神社の横から虹が立っていました。

市場の可能性もある夜臼貝塚の傍の「市」を司る神大市姫命を祀る高松神社に立った虹(昨年8月27日)


 この虹もいろいろな意味があったのかもしれず、個人的には今回のスマホの機種変更にはその後メリットと同時にデメリットも感じており、今のところは吉とも凶とも言い難いものがあります。

 いずれにせよ「中世貴族が虹の吉凶を陰陽師に占わせた」ということだけでも、虹は吉兆でもあり得、また凶兆でもあり得ることを示しており、吉凶の分かれ目は人にもより、タイミングにもよるものでしょう。

「市」の賑やかさに酔って手を出してしまったものが実は「魔物」だったと後悔しないよう、また美しい虹が現れたからといって浮かれすぎないよう、自己を冷静に見つめる姿勢がやはり大切なことを、古来の知恵に学ぶ必要があるようです。


 近年で全国的に話題になった虹と言えば、令和元年10月22日の今上陛下の即位礼正殿の儀の直前に現れた虹が最も印象に残っています。

 しかし上述のように虹は必ずしも吉兆とは限りませんし、あの虹も誰かにとっては吉兆だったかもしれませんが、凶と出た人たちもいるでしょう。
 
 令和元年(2019)以降を振り返ると2019年10月に消費増税(10%)、同12月に中国で確認された流行病が2020年に日本を襲い、多大な経済損失を伴う「緊急?事態」と自粛、2021年からの予防接種開始、超過死亡数の激増、2022年ロシア・ウクライナ紛争勃発に伴う対露経済制裁のブーメラン効果、経済実態と著しく乖離した外圧による異様な円安と物価高騰、相次ぐ大規模自然災害と貧困国並みの復興の遅滞等々、国民の圧倒的大多数にとっては凶事の連続です。

 このように世の中が凶相に塗れた時、先人たちは改元によって国全体の開運厄除を図り、危機を乗り越えてきました。

 古くは瑞雲など稀な自然現象の発現(「慶雲」「神護景雲」「天応」)や珍しい献上品を機に改元されることもありましたが、歴代天皇の御代替わりや辛酉革命・甲子革礼など暦に基づくものに加え、時代が下るにつれ地震、疫病、その他各種の天変地異、大事件や戦乱などの凶事が改元の具体的なきっかけとなってきた傾向がウィキペディアの「元号一覧」の記事から見えてきますが、この記事を一読すると、近年は毎年改元すべきではないかと思われるほどです。


 令和元年の即位礼正殿の儀が行なわれた10月は消費増税の月でもあり、最近では物価高騰に相乗効果をもたらして庶民を一層苦しめ、その一方で一部の幸運に恵まれた人たちがいるのも現実ですが、それが長続きしない可能性を感じる瞬間が今では多くなってきています。

 六十干支の最初の甲子の日だった今年の元日、能登半島では地形が変わるほどの大地震が発生し、天皇皇后両陛下が二度ご視察になっても復興が遅延する異常事態が今も続く一方、「史上最大級」と騒がれた台風10号は東海沖から能登方面へ直線的に北上するとの予報がありましたが、9月1日(甲辰年戊辰日)に東海沖で消滅したことが昼過ぎに発表されていたようです。

 この日は度々取り上げている博多の東長寺のお釈迦様の護摩法要に向かう途中、JR鹿児島本線の車窓から東方の空に棚引く幾筋もの龍雲を目にしました。

多々良川と三郡山地の上空に現れた龍雲(2024年9月1日13時47分、JR鹿児島本線の車窓より)


 このタイプの雲は東京の有名な某天台寺院のある法要で目撃し、そのお寺の僧侶から「龍雲」だと教えられたものですが、この日は年と日の十二支の辰で重なったことも相俟って、何かの瑞兆かもしれないと車窓から何枚も写真を撮りました。

 台風10号はそもそも先月28日の夜の九州上陸のタイミングで目が潰れ、福岡県では大した風を感じることなく過ぎていき、公式の予報や報道との違和感の方が「自分史上最大級」でした。

 当日午後は東長寺の不動明王護摩法要に参列し、その後何箇所か寄り道した後でしばらくご無沙汰していた喫茶店に挨拶し、それから博多駅に向かおうと外に出ると空はかなり晴れており、ビルの林を照らす夕空が神々しくさえ感じられました。

台風10号接近にも関わらず急に晴れてきたビルが林立する博多の夕空(2024年8月28日18時48分)


「これは虹が出るかもしれないと」直感しましたが、博多の街中からは見えそうにないので想像するに留めていましたところ、その時福岡市東郊にいた弟が山際から昇る虹を撮っていたことを後ほど知りました。

 撮影の時間を尋ねると18時42分だったようで、この虹を目にした人たちは他にもいたはずでしょうが、その日の夜に台風の目が潰れて勢力が落ちたことから、この虹は吉兆だったのでしょう。

 このように9月1日の龍雲と8月28日の虹と、個人的には東長寺での法要の前後に吉兆を認めた私は、前々回ご紹介した7月21日の弘法大師忌の後に博多駅の上空に目撃した「水平虹」も日本全国に、または高野山など弘法大師所縁の土地や関係のあるものに、あるいは福岡県にその後訪れる(現時点では既に訪れた)吉事の予兆だったのかもしれないと、今思い返しているところです。

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