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龍神考(8) ー蜃ー

 古代中国の龍の形象はラクダを念頭に置いて形成された可能性に想到しました。
 紀元前2世紀末に編纂された『淮南子』は、龍の頭はラクダと明記する以外に、腹を蜃(みずち)=大きなハマグリと示すことで、大きなハマグリに似たラクダの胴体を暗示したのではないかと思われました。
 それは同時に、ラクダの頭と胴体の間のうなじをヘビと示したことも、ヒトコブラクダを横から撮影した写真を見ると、古代中国の龍が現実のラクダの姿の投影であることを窺わせるものでした。
 つまり龍の頭(ラクダ)+うなじ(ヘビ)+腹(蜃=大ハマグリまたは背中が盛り上がったように蛇行する蛇体)は、ラクダの頭+首+胴体のシルエットを基にしている、と考えられます。

 しかしこれだけで古代中国の龍はラクダがモデル、と片付けられるものではありません。
 龍の他の身体部位は、角はシカ、目はオニ、耳はウシ、掌はトラ、爪はタカ、鱗はサカナ、とされています。

 すでにオニについては人間、特に人間のある心の状態のことと考えました。

龍の中のウシ

 ウシは聴覚が優れているようで、最小可聴音は8000Hz位の高音も聴き取ることや、200〜300mも離れた飼い主の足音を拾うこともできるそうです。しかしウシが他のあらゆる動物と比べて可聴域が特に広いかと言えばそうでもなさそうです。

 ただし「支配する」するという意味の表現に「牛耳る」という言葉があります。春秋戦国時代の中国では、諸侯が同盟を結ぶ際に、盟主が切った牛の耳の血を啜ることで、同盟への忠誠を誓う慣わしがあり、その盟主となることを「牛耳を執る」と表現し、そこから「牛耳る」という言葉が生まれたそうです。
 これだけではウシと耳との関係性が今一つよく分かりませんが、ひとまずウシについては耳が重視されていたというて点だけ留意しておきましょう。

 そしてあくまで現代の学術上の考え方ではありますが、ウシもラクダも同じウシ目(または鯨偶蹄目、偶蹄目)に分類される点も注目されます。
 偶蹄目は奇蹄目とともに有蹄類を構成し、蹄が二つに割れている方を指します。他方の奇蹄類は蹄が割れていない動物で、ウマ目とも呼ばれます。

 偶蹄類には角を持つものも多く、龍の角に採用されたシカも偶蹄類です。
 ただしその偶蹄類のラクダに角はありません。龍の頭に採用されたラクダの頭には角がなく、同じ偶蹄類のシカの角が組み合わせられたことになります。なぜシカの角でなくてはならなかったのかについては、後日改めて考えてみます。

耳が重視されて龍の形象にも採用されたウシはラクダと同じ偶蹄類


龍の中のトラとタカ

 前述のとおり龍の身体の大部分にラクダの姿が投影されていますが、龍の爪は蹄ではなくタカの鋭い爪。その爪が生えている龍の掌(たなごころ)はトラの足の裏とされています。
 これは龍の掌をトラにしたために、爪も蹄ではなく、トラの鋭く曲がった爪を連想させるタカの爪としたのでしょうか?
 それとも「あらゆる動物の祖」である龍の爪に鳥類を採用するためにまずタカを採用し、次にタカの先端が釣り針のような鋭い爪を連想させるトラの足の裏を龍の掌としたのでしょうか?

 このいずれが正しいのか、他の理由があるのかは今はさておき、龍の身体は偶蹄目のラクダを基調としつつも、掌はトラで、爪はトラの爪と似たところのあるタカの爪である点を思い出しておきましょう。

龍の掌に採用されたトラと同類のネコが身体を伸ばした際に垣間見えた鋭い鉤爪(自宅近隣で撮影)


ラクダの肉球

 ラクダを基調とした龍の掌にトラの足の裏が採用されたことに関して、もう一つ考えておきたい点があります。
 それは、ネコ科のトラには肉球がありますが、ラクダの足の裏にも少し膨らみを持った蹠球(しょきゅう)と呼ばれる肉球がある点です。

 蹠球は足が砂に埋もれないように進化したラクダの特徴です。龍の掌にトラの足の裏を採用するにあたり、蹠球という肉球が意識されていたのかどうか不明ですが、無関係という気もしません。
 ラクダは少なくとも蹠球によって砂漠を長距離歩行も走行もできる訳ですから、他の土地においては一日に千里の道を行き来できると云われたトラに匹敵する動物と考えられたのでしょうか?


市場を支えるラクダと蜃(ハマグリ)

 このようなラクダは「砂漠の船」とも呼ばれ、昔から交易に大きな役割を担って
きました。ラクダによって輸送された物資が市場で取引され、遠く離れた人々同士の生活を便利に、そして豊かにしてきました。
 つまりラクダは「砂漠の船」として物資の輸送・市場と関係する存在なのです。

 そしてこのことは再び、ラクダと蜃=大ハマグリの共通点を暗示することになります。それを考える上でのキーワードは「市(市場)」です。
 ウィキペディアの「蜃」の記事は、中国明代の有名な小説『西遊記』の二次創作的な清代の『後西遊記』の内容として、「大顛法師半偈の一行が旅の途中で、大変にぎやかな市街にさしかかるが、それは蜃気楼であり、一行は蜃の腹の中にいた」ことを紹介しています。

 さらにこの記事は、江戸時代の絵師、鳥山石燕もその妖怪画集『今昔百鬼拾遺』(1781年)で『史記』を引用した蜃に関する解説文で、蜃=大ハマグリ説に触れていますが、その解説文についてより詳しく紹介しているのが『世界の謎を紐解く 珍奇ノート』というブログの「蜃ー蜃気楼を作り出す伝説の生物ー」と題する記事で、蜃=大ハマグリが海上に気を吹いて楼閣や城市の形をなすものが「蜃気楼」や「海市」と呼ばれることに言及されています。

また、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』には「蜃気楼」という名で大蛤が氣を吹き出している様が描かれており「蜃とは大蛤のことであり、海上に気を吹いて楼閣・城市の形をなす。これは蜃気楼または海市といわれる」といった説明書が添えられている。

ブログ『世界の謎を紐解く 珍奇ノート』の「蜃ー蜃気楼を作り出す伝説の生物ー」より

 広大な砂漠を市場から市場へと物資を輸送する「砂漠の船」=ラクダの胴体を連想させる大ハマグリ。その大ハマグリ=蜃が気を吐いて形成する蜃気楼の中に出現するのも、やはり賑やかな城市や海市だとする考え方が注目されます。
 ちなみに「賑やか」の「賑」にも、「蜃」と同じく「辰」の字が含まれているのも意味深長ですね。

 ウィキペディアの「蜃気楼」の記事は、「春の季語。蓬莱山、海市(かいし)、山市、蜃市、貝櫓、喜見城、善見城、なでの渡り、狐の森、狐盾とも呼ばれ、霊亀蓬莱山、竜宮城などを現わし吉祥とされる」としていますが、蜃気楼の異称の中に「海市」「山市」「蜃市」と、「市」が付く表現が三つもあります。

 こうしてみてくると、ラクダのシルエットの投影が窺われる古代中国の龍の身体のうち、腹が蜃=大ハマグリと考えられた背景には、ラクダの胴体の膨らみがハマグリの輪郭を連想させることだけでなく、ラクダとハマグリの間に「市(市場)」との強い関係性という機能的な共通点が浮き上がってきます。

 その上で改めて龍の耳に採用されたのがウシの耳であることを思い出すと、ウシもまた市場への物資の輸送に大きな役割を担っていた動物である点に気づきます。ウシはとりわけ山間部の細い道の輸送を得意としていたことを、民俗学者の宮本常一の著書で読んだことがあります。
 
 さらに輸送に伴う長距離移動という側面に注目すると、龍の掌と爪に採用されたトラもタカも長距離移動の特性を持ちます。
「虎は千里行って千里帰る」とはトラの一番の特徴のように云われてきましたし、タカは渡鳥の一種でもあります。
 まだよく調べていませんが、鷹狩で捕獲した動物の毛皮製品や保存処理した肉製品、内臓由来の薬などもラクダで市場に輸送され、取引されてきたことでしょう。

「砂漠の輸送船団」とも言えるラクダの隊商

 このようにみてくると、古代中国で「あらゆる動物の祖」としてイメージされた龍の姿は、ただ思い付いた動物や馴染みのある動物のそれぞれの長所の寄せ集めではなく、それらの動物の採用基準に一貫性がありそうなことが窺えます。その主な採用基準の一つが「市場」との関係性ではないでしょうか?


 
 







 


 

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