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episode8:近くて遠い人


昨日Mステに出ていた9mm parabellum bulletについて、さやちゃんと話していた。

大学の演奏練習室の窓からは、木漏れ日が見えて、新緑真っ盛りと言っていい。季節は初夏を受け入れ始めていた。

「あれは音響が悪いよ。ライブでの生演奏はあんなもんじゃないんだよ」

すっかりさやちゃんとは、練習室の常連客になって、私の素人ドラムも、徐々に譜面をなぞってリズムを刻めるようになってきた。

さやちゃんの熱の込もった口調に、ニコニコと頷いてしまう。
さやちゃんが、心を開いてくれているようで嬉しいのだ。

というのも、さやちゃんは、こと音楽以外に関しては、淡白で飄々とした女の子だった。
特に誰かに話を合わせることもなく、特定の友達以外とはつるまず、校内で一人でいるところも直々見かけた。

過度に周囲を気にしてしまい、気を遣ってしまう私には、彼女には怖いものがなさそうに見えた。そして、そんなさやちゃんといると、気が楽になった。自分も自然体でいられることに薄らと気がついていた。

「さやちゃんって、モテそうだね。男女問わず、というか」

何気なくそう聞いてみると、ベースの調律をしながら、さやちゃんは少し困ったように小首を傾げた。

「昔から、男の子じゃなくて女の子にモテるんだよね。高校の後輩とか。手紙もらったりしたよ」

「えー!やっぱり!!」

「男の子じゃないんだよねー」

特に女の子が好きと言うわけでも、男の子が苦手という訳でもないらしい。

「今日もボーカルがいないね。一回ドラムと合わせてみたいんだけど」

さやちゃんが呟く。
ボーカルもギターも、今日も不在である。

私はふと、ひらめいた。

「そうだ!さやちゃんが歌ってみたらどうかな?」

「え?わたし?」

「もうベースは完璧だし、さやちゃんの歌声も聞いてみたいし!」

「えー、、。うーん、歌うのは専門じゃないんだけど‥‥まあ、いいか。じゃあ、一小節目からいける?せーの‥」


小さい練習室いっぱいに、ドラムとベースの音が鳴り響いて振動する。音が壁に跳ね返って、反響する。

ドラムを鳴らしながら、私はさやちゃんの歌声に耳を傾けた。

よく広がる、ボーイソプラノのこの声が、私は好きだった。

聴いていると、何故か懐かしくて、癒されて。

心臓が音楽に共鳴してるみたいに、時折胸が締め付けられて、急に泣きたくなる衝動に駆られた。


✳︎

日が落ちて、辺りが暗くなる程度まで練習した。

「じゃあ、お疲れ。またね〜」

ギターケースを背負って、さやちゃんは振り返らずに帰って行く。

私はどんどん小さくなるさやちゃんの後ろ姿を見つめながら、自分はもっと仲良くなりたいのに、さやちゃんは、私、というか、あまり人に興味がないのだろうと思った。

でも、あの自然体で何でも笑って受け入れてくれる、どんな自分を曝け出しても、きっと変わらずに笑って接してくれるような、そんな不思議な魅力がある彼女に、全部もたれかかって吐き出してしまいたいような、自分の中の甘えとか依存心とかを感じていた。

そして、お別れの時、胸の奥で、いつも誰かが小さく泣いているのに気がついていた。

その声は、彼女と過ごす回数が増えるほどに、少しずつ大きくなっていた。


自分の声なのか、もう一人の誰かの声なのか、分からなくなって、日が落ちた道を、言葉に出来ない感情を抱えて、寮に帰るのだった。


"近くて遠い人"


何故彼女にだけは、会えると嬉しくて、別れると寂しくて、こんなに感情が倍音になって感じるのだろう。少しずつ、その声の正体が気になり始めていた。

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