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焚火の対話
少し前に2泊3日のリトリートに参加して、夜は焚火の対話をしてました。そこで、対話について目からうろこの体験をしました。
そこは、みんなが焚火を囲んで、主催者の方が投げかける質問から、焚火に向かって自分の言葉をおいていくような場でした。だれかの言葉に対してあいづちをうったり、同意をしたり、アドバイスをしたりすることもありましたが、それはとても少なくて、一人ひとりが、自分の内面の言葉を焚火と対話しているようで、参加者の間の対話ではないんだなと感じていました。
一人の参加者Aさんがとても悩んでいるという話をしていて、ほかの参加者はみんなAさんのことを気にかけていました。でも、焚火の対話では、そのことに直接ふれるような言葉を特にかけるということもなく、一人一人が内面と向き合って言葉をおいていっていました。
リトリートの3日目に、Aさんが、突然殻を破って、悩みから解き放たれたと見えた瞬間がありました。それを見て、私が思ったのは、2日間の焚火の対話で、ほかの人から出た言葉が、Aさんに向けた言葉ではなかったけれども、Aさんが自分にとって必要な言葉を自分の中にとりこんで、変化を起こす材料にしたんだなということでした。
いままで対話とは、相手の目をしっかりみて、相手の言葉をしっかり受け止めて、自分の言葉もしっかり受け止めてもらって、というイメージをしていました。でもこの体験では、焚火に向かって置いていった言葉がだれかに響いたり、響かなかったりして、それが何かの変化を起こすこともあるんだ、ということを感じて、とてもおどろきました。
コミュニケーションの形は本当に多様だと感じた経験でした。
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