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京都はなんで居心地がいい?(個人差あり)

京都の家には、今のところ冷蔵庫も洗濯機もWiFi環境もない。
自炊もできる状態ではないので、京都にいる間は外食が主になるし、作業も基本的に府内のカフェになる。

ヤブチャリ(HOTEL SHE,KYOTOのヤブさんからもらったチャリ)があればだいたいどこでもいけるので移動に不自由はない。

ただどこかのお店に入ればお金が必要になるので、その分働かなくっちゃというチェーホフの三人姉妹で聞いたことあるようなセリフを心の中で唱えることになるんだけど。

それでも、京都にいたいと思うのはどうしてだろう。

京都には、東京とはまた違った不干渉な空気がある。
それが居心地がいい。

東京の不干渉さは、多様性を許容してくれない雰囲気があって、「うちが許容する多様性はこれです」みたいな、多様性という箱がすでに用意されていて、そこに入らない多様性はないものとされる感じがする。

一方で京都は、そもそも多様性を許容する、という考えがはなからない感じがするというか。

あなたはそういう人なのね、そうですか、みたいな。

これを冷たい、と感じる人も居るとは思うんだけど、個人的には誰かにそこに居ていい免罪符を貼られなくても、自分が居たかったらいつまでも居ていい、と言われているような気がして、それが居心地がよい。

東京にも、そんなふうに感じさせてくれる場所はあるんだけど、まち自体に漂う雰囲気は圧倒的に京都の方が満たされている気がする。

どこだって、居たかったら居ていいはずなんだけどね。

誰かに(誰に?)ゆるしを得ないと居ちゃいけない気がするのはなんでだろう。

なきゃいけない、からの開放

これを求めに京都にきてるのかもなあ。

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