記憶の中の落語家(2)三代目桂米朝【*】
桂米朝との出会いは、やはり子どもの頃のテレビであった。既にその段階で「落語家」というよりも、幅広く活躍する「タレント」であったと思う。寄席番組の構成、ニュースショーの司会、画面に登場しない日は無かったのではないだろうか。
高校入学後、落研に入ってからは、松鶴同様に道頓堀角座で何度か聴いている。記憶に残っているのは、何と言っても「地獄八景亡者戯」。70年代前半のこと、師は40代後半で気力体力充実した時期、1時間を越える長講にぐいぐいと引き込まれた。次に「佐々木裁き」、「鹿政