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私と落語

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子どもの頃からの落語好き、いまは前期高齢者。うすれいく記憶を辿りながら、これまで出会った落語家との私的な思い出を綴ります。
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記事一覧

記憶の中の落語家【8】二代目桂枝雀【*】

 4月から始めたこのシリーズ、「テレワーク」中の気晴らしとして始めたのであるが、いったん…

myonter
4年前
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記憶の中の落語家(7)三代目桂文我【*】

[画像は、前田憲司『桂文我』(喜迴舎、1995年)より引用)]  私がこの連載で取り上げてい…

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4年前

記憶の中の落語家(6)四代目桂文紅【*】

[画像は、四代目桂文我編『桂文紅日記 若き飢エーテルの悩み』(青蛙房、2009年)より]  …

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4年前
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記憶の中の落語家(5)二代目露の五郎兵衛【*】

 上方落語四天王を生年順に並べてみると、六代目笑福亭松鶴(1918年8月17日 - 1986年9月5日)…

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4年前
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記憶の中の落語家(4)五代目桂文枝【*】

 私が落語を生で楽しみだしたのは、高校時代の落語研究会の活動(1970年4月〜73年3月)からで…

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4年前
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記憶の中の落語家(3)三代目桂春団治【*】

(画像は、『三代目 桂春団治』(弘文出版、1996年3月15日)より)  落語に興味のない方に…

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4年前
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記憶の中の落語家(2)三代目桂米朝【*】

 桂米朝との出会いは、やはり子どもの頃のテレビであった。既にその段階で「落語家」というよりも、幅広く活躍する「タレント」であったと思う。寄席番組の構成、ニュースショーの司会、画面に登場しない日は無かったのではないだろうか。  高校入学後、落研に入ってからは、松鶴同様に道頓堀角座で何度か聴いている。記憶に残っているのは、何と言っても「地獄八景亡者戯」。70年代前半のこと、師は40代後半で気力体力充実した時期、1時間を越える長講にぐいぐいと引き込まれた。次に「佐々木裁き」、「鹿政

記憶の中の落語家(1)六代目笑福亭松鶴【*】

 私は1954年に生まれ、1973年(=第一次オイルショック)に高校卒業、まさに高度経済成長と軌…

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4年前
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「私と落語」 はじめに

 1954年11月生まれの私は、2020年3月31日をもって職場を定年退職となった。もっとも、諸般の…

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4年前
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