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今、何気ない日々が幸せだ。

思えば半年以上、ここに何も書く事ができずにいる。何かを記しておきたい気持ちはありながらも、何も綴るものがないのである。

最近は日々に満足している。大型二輪の免許を取り、比較的安価なものではあるがバイクも買った。最近は雨でない限りはほぼ毎日、仕事後のわずかな時間であってもバイクに乗り、大阪市の海側を走ったりしている。港を出入りするトラックドライバーをターゲットとしているような、駐車場が大きなコンビニで缶コーヒー片手に休憩して和んだり、帰ったらカロリーオフの缶ビールを開け、毎日一章ずつ読み進めている小説を片手に晩酌をする。

仕事に大きな不満もない。収入も一人で生きてゆくには充分足りているし、人や環境にも恵まれている。

流石にこの歳になると友人たちもそれぞれ家族を持つので、付き合いの良い友人は減ってしまったが、それでも同志はいるもので、休みが重なれば友人もバイクツーリングに付き合ってくれる。その友人が一緒の時は、出先で彼が簡易型のミルを使ってコーヒーを淹れてくれるので、景色の良いスポットで休憩する際には挽きたての豆でコーヒーが楽しめる。本当に充実している。絶景とコーヒーさえあれば、このささやかな生活がずっと続くのであれば多くは望まなくて良いと本気で思えた。

これは僕に限るのかもしれないが、フラストレーションがないと筆が乗らない。今が満ちていれば、過去の思い出に心を馳せる必要がない。過去より今が素晴らしいとまでは言わないが、今は過去に引けを取ってはいないのだ。かつて仲が良かった人、もう会えなくなった人、会わなくなった人、自ら関係を絶った人、もうできなくなった事、もうなくなってしまった場所、それらを思い出す事が少なくなってしまったのだ。思えば僕が書くものは、そんなノスタルジックな題材ばかりを扱ったものが多かった。だから書けなくなったのだろう。

それでも、これからまた次のステップに進むタイミングであるのかもしれない。ノスタルジックな題材しか書けなかった人間が、新たな題材を扱えるようになるきっかけとなるのかもしれない。そんな期待は薄らとある。

今でもたまにnoteを開くようにしている。フォロワーが不思議と減っておらず、なんならたまにいいねが増えていたりするので本当に感謝している。勝手な勘違いかもしれないが、僕の書いた物を読みたいと思ってくれている人がいるのであれば、是非また書いていきたいという思いはずっとある。今日は試しに一つ書いてみた。年明けにはかつてのペースを取り戻せればと思っている。

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