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絶望は臆病者に勇気を与える (「NOMAD メガロボクス2」を観終えて。)

漫画「あしたのジョー」連載開始50周年記念作品「メガロボクス」の7年後を舞台とした続編、「NOMAD メガロボクス2」が先日最終回を迎え、私もビデオオンデマンドで後追いし、視聴を終えた。

昭和の終わりの終わりに生まれ、ほぼ平成っ子として生きてきた私だが、一番好きな漫画を聞かれると「あしたのジョー」と答えるくらいにファンである。「メガロボクス」は原作「あしたのジョー」を原案とし、本作との設定や物語の直接のつながりはないものの、メガロのジョーも、原作ジョーに似たような境遇をなぞる事になったり、原作に登場したキャラクターを感じさせるような人物が多く登場する。

一番好きな漫画として「あしたのジョー」を挙げる理由として、昨今の少年漫画の主人公には見られないジョーの“目的との向き合い方”にある。ジョーには、海賊王や忍者の里の長を目指す、有名どころの主人公達のような、夢をキラキラと追い求める輝きが一切感じられない。物心のつく前から捨て子として育ち、正確な生年月日も知らず、もちろん実年齢も知らず、現代の子供達が当たり前に持っているものをジョーは何一つ持っていない。そんなジョーに、丹下のおっさんや泪橋の子供達、ライバル達とのつながりをもたらしたのがボクシングなのである。他の若者達が有り余ったエネルギーを青春に向ける中、彼は薄暗いジムに籠り、スパーリングや縄跳びなどのキツいトレーニングをこなし、たまに外に出たと思えばリングの上でボロボロになるまで殴り合い、馴染みの女の子には闘鶏のようだと言われるような生活を送る。それでもジョーはボクシングをやめない。生きる理由もなかったジョーにボクシングは、人との繋がりをもたらし、それに加えジョーと言えば有名なコレであろう、燃えカスなんか残りゃしない、真っ白な灰だけになるほどに燃えるような充実感をもたらしたものなのだ。

そんなジョーに最後に立ちはだかる本作のラスボスとなるのが、ボクシング大国であるメキシコの選手でWBC王者、ホセ・メンドーサである。彼には妻子、暖かな家庭があり品性があり、王者としての地位に名誉に満たされた存在で、孤独に生きたジョーと相反する設定を持っている。ホセとの試合の前にパンチドランカー症候群である事がわかり、周囲に出場を止められても「だからどうした。」と突っぱねるジョー。彼にはボクシングしかないのである。他にいくらでも別の世界を持っている男に、唯一のボクシングを譲るわけにはいかないのである。何度倒されても虚な目で何度も立ち上がり逃さぬよう食らい付くジョーにホセは恐怖する。その絵から放たれる気迫は是非原作で見てみてほしい。試合はジョーの判定負けとなるものの、ホセはその試合の恐怖で白髪になり、やつれきった老人のように描かれている。

失うものがない、それしかないという状況は人を強くする。本気で死んだ方がマシだと思っている人間を相手に、守るべきものが多い者はまず勝てない。「メガロボクス」でもそのハングリーさに重きを置いているように思える作品となっており、それが原作へのリスペクトをしっかり感じられる、愛ある作品となっていた。「メガロボクス」のOPテーマのタイトルは「Bite」。「噛む」という意味の動詞だ。

ちなみにこの記事のタイトルは「NOMAD メガロボクス2』の第二話からお借りしたものである。

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