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掌編小説 「花駅から」

  マンションのエントランスに、冬の風は、赤い花びらを運んでくる。
  掃いても掃いても、笑うように誘うように新しいのが降って来るから、おそうじのお兄さんは、あきらめてホウキを脇に置いてしまった。
  すこし先のところに、サザンカの咲く小道があって、毎年冬の間じゅう溢れるように咲いてはこぼれる。
  かじかむ手をポケットに入れて、ぼんやり考えごとをしながら駅へ向かっている途中、踏切のところでランドセルの女の子たちと出会った。連れ立って卒業証書の筒を抱えているところを見ると、どうやら卒業式の帰りらしい。
  まだ2月なのに卒業式なんておかしいな、と思ってよく見たら、ひとり、みどり色のカーディガンを着た女の子が私に気づいて、小さく手を振った。いつもこのあたりで会って、なんとなく挨拶を交わす顔見知りの女の子だ。
「おねえさん、ちょっと、教えてください」
「あ、はい」
「花駅へは、どうやって行ったらいいですか?」
「花駅……?」
  このあたりでは聞いたことのない名前の駅だから、答えようにも答えられない。
「私たち、その駅から電車に乗って、街へ行きたいんです」
  女の子は紙きれを私に見せる。紙はしわくちゃで、印刷の具合も良くないので、地図らしきものが書いてあるのがかろうじてわかるだけで、私は読み取れない。
「街…だったら、すぐそこの駅からでも行けるけど」
  目の前の線路を指差して、私は答える。
「ほんとですか!」
  声をはずませて、少女は仲間のほうを向き直った。
「この先の駅から街へ行けるって」
「やっぱりあの先生の言うことって、最後までアテになんなかったね」
「百年の伝統だ、なんて言ってたけど」
  彼女たちは、どっと騒ぎ立ち、笑い合った。
  カン、カン、と踏切が鳴り、遮断機が下りて来る。
  電車の近づいて来る気配が大きくなる。
  私はなんとなく一歩下がって、踏切からすこし離れる。髪にリボンを結わえた子は、遮断機のそばでじれったそうに体を揺らして、なんだかちょっと危なっかしい。
「私、海へ行ってみたい」
  はにかみながらひとりの女の子が言った。
「へー、そういうのも、すてきじゃない」
「やりたいことをやるべきよ。だって、私たち時間がないんだもの」
  笑いさざめく声が、冬空に溶けていく。
  電車が来る。
  プラットホームを出たばかりの銀色の電車が、ゴーと風を切って通り過ぎていく。まっすぐ街の中心部に向かって、たくさんの人々を乗せて。
  踏切がひらくと、こまかな赤がくるくると風に舞っていた。
  よく見ると花びらだ。
「……あ」
  女の子たちはいつの間に解散したのか、そこにはもう誰もいない。
  宙に浮かび上がった数枚の花びらは、やわらかな空気をつかまえてのんびり旋回している。
  私の乗るはずだった電車は行ってしまった———。
  そういえば私の用事は何だったのだろう、すっかり思い出せない。みどり色のカーディガンを着たあの子は、いったいどっちへ行ったかしら。
  ふたたび考えごとの続きをしながら、駅まで歩く。
  このあたりのサザンカは百年前に植えられたのだと、おそうじのお兄さんは言っていたっけ。
  用水路のそばを通ったら、陽のあたる水のおもてに、花びらが一枚、きらめく光と先をあらそいながら流れて行くのが見えた。



<おわり>

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