最後の三月生まれ/Mission Complete.
生きるって、変化だ。
その変化の一巡りが、三月の中には凝縮されている。
三月は、別れの寂しさや出会いの予感、ありとあらゆる感情が、ひとつの瓶の中で、危うくゆれているような、そんな月。
蓋を開けたら泡みたいにはじけて、シュワシュワと溶けてしまいそうな、淡くはかない季節。
そんな季節に、私は生まれた。
みんなの背中を、最後尾でずっと見つめていた、三月生まれ。
さなぎから蝶がまろび出るように、みんなが羽ばたいてゆくのが、最後の女の子は、うらやましくてたまらなかった。
「お先にごめんね」
なんて、残酷な言葉。
そして、とてつもなく長い時間が過ぎるのをじりじりと待って、やっと待ちに待ったお誕生日。さなぎを脱いでおそるおそる飛び出したら、朝露はすっかり採りつくされた後だった。
「可哀想に。あの子、心は幼体なのね」
そんなふうに笑われている気がして、物悲しかった。
◇
三月生まれの私は臆病者だ。
「だめよ、まだ早いわ」
遮る手が伸びてきて、ひらひらと大きな影絵のように映って、その影のこちら側で、最後の一人になるまで見届けていた。
「誰もが無事に変身できるわけじゃないし、誰もが必ず幸せになるわけじゃないのよ」
悲しいほど、目を凝らして見た。そうかな、そうかもしれない。
——でも、だからこそ。
私は、臆病者なりに、たとえ季節が遅れても年齢が遅れても、まだ知らない世界へ自分から這い出していきたい、と思うようになった。
そして、愛とか悲しみとか成功とか失敗といったもののつまった、これからつくり出していく自分の人生に、自分の言葉で名前をつけていきたい。
幸せにも不幸せにも正解がないのなら、この世には「材料」があるだけだと思うから。
好きなもの、憧れ、純粋、心地よさ、夢、欲望、「材料」はいくらでもたくさん——そう、まるで桜の花びらほど無数に。
◇
花びらはひらひら、ひらひら、光のつぶのようにまたたいて、地面に落ちるそばから、また風に吹かれて舞い上がる。
生命が凝縮されたような桜並木を、私はよたよたと歩く。恋焦がれてやっと躙(にじ)り出た世界は、やっぱり、きれいだ。
この季節独特の、胸のキュッとする感じ。
砂糖菓子を贈り贈られるその日の甘い香り。
耳のうしろがしめつけられるような別れの痛み。
空のいちばん高いところから、意志のように静かに舞い降りてくる、ピンクの花びらの、透きとおるようなはかなさ。
それから、私は、外に出るのを阻んでいた手が、じつは自分のものだったのかもしれないと気がつく。
この麗しき春はきっと、半永久的に変わらない。けれど、いったんこの世界に押し出された私たちは、変化しながら、ボロボロになるまで羽を動かし続ける。
どうか願わくは、幸せでありますように。
◇
もし生まれ変わるなら。
できればまた、「三月生まれ」がいいな。
まんじりともせず夜明けを待ち、この美しすぎる季節に羽化してやろう。
幼虫から喋々に、そして人間に生まれ変わって、これからも毎年。
桜の栞を目印に、この季節に舞い戻ってきて確かめようと思う。
変身した代わりに、どんな素晴らしいものが私たちの心を満たしているのかを。
(最後の三月生まれ、Mission Complete.)
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