流星/eventually disappear
24時。ベランダから夜空を見上げている。
緊急事態宣言が解除されたのはもうずいぶん前のことだけれど、いまでも街はどこかひっそりとしているように感じる。こんな深夜なら、なおさらのこと。時おり夏の湿った風が、洗いざらしの髪を撫でていく。
月は北東にある。金色の光が、まるで夜の底でつめたくはじけているように、ビルの隙間からこぼれ出ている。
「もう寝る」
隣であくびをしながら、彼は言う。
「もうすこし見ていたら?」
「でもほら、雲がかかっているし」
昼間の海で疲れた彼は、とても眠そうだ。私たちは小一時間かけて海辺の街までドライブをした。
――― 海には二種類ある。眺めるためのと、冒険するためのと。
そんなふうにしか物事を考えられない私に、彼は別の海を見せてくれる。
ちょっとそこまで泳いだり、渚でピナコラーダを飲んだり、のんびりと釣りをしたりするための海だ。
日々を懸命に生きている人々が、ほんのひと時、リフレッシュするためにおとずれる海。
その海は誰にでもひらかれていて、おだやかで優しい。
今日の昼間、たしかにそんな種類の海で、私は砂に他愛のない言葉を書き、彼は足を波につけて過ごした。
「じゃあ、おやすみ」
そう声をかけた時には、もう背中だ。
「きみも早く寝なよ」
流星を見るまで寝ないと宣言する代わりに私は、「うん」と答える。
私はまた空を見上げる。すぐに首の後ろが痛くなる。闇のいちだん薄いところ、かろうじて2、3の星座が見える雲間を、祈るようなすがるような気持ちで見つめる。
自粛を続けなければいけない日々で、できないことがたくさんあった。私はほとんど仕事をしていないし、それどころか外出もままならない。取り組んでいた小説を書き終わった途端、好きで書いていたはずの文章が書けなくなった。何を書けば良いのかわからないという味わったことがない焦りに、追い討ちをかけるような毎日の暑さ。
日常のようでいて日常ではなく、かといって完全な非日常でもない、今年の夏。
——— なんとしても流星を見なくてはならない。
どちらでも良いと思っていたはずなのに、そんな気持ちに切り替わっている。このちいさなベランダから、私の意識は体を飛び越えていくみたい。広がる夜空をただよう、シャガールの恋人たちのように。
群青、藍、インディゴ、紺…… 大きな水のマントがうねるように、夜空にはさまざまな青の色が混じり合う。青とよばれる種類の、私の知らない名前の色々。
やがて風が止む。時間をかけて、ゆっくりと。
長い旅を終える時、流星は燃える。
天蓋のふもとのほうに、ほんの一瞬、すべらかに流れる星が見えた。
「いま、流れたね」
ベランダの戸が開いた。
私たちのまわりの、しんとした夜の街は、海の底の廃墟のように眠っている。満ち足りているような、でもどこか物寂しげな、日常でもなく非日常でもないある夜の風景。
「流れ星、見てたの?」と私は、すこしびっくりして、彼にたずねる。
「さあ、どうだろう」
からかうようなはぐらかすような声が、闇の中から聞こえる。そんなこと、どっちだって構わないといった風の、おおらかで、のんびりとした声。
私はベッドに横になる。すべり落ちた星の光の記憶を心に刻み付ける。夜空の中でそこだけ活版印刷のように、いつまでもたしかな手触りがあるように願う。
そっと目をつむると、夜空とはまた違う暗い色がまぶたの裏に広がる。その闇の中に、わずかな残光の記憶が一滴こぼれおちて、深い青色になった。
“Does everything have no meaning like my trivial doodles written on the sandy beach, and will it eventually disappear with no trace because of the waves coming back and forth?”
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