「アメイジング・スパイダーマン」感想
2012年の映画
監督:マーク・ウェブ
時間:2時間16分
※筆者、サム・ライミ版未視聴
サム・ライミ版「スパイダーマン」シリーズのリブート作品
ヒーロー物だけでは終わらない工夫がなされている、MARVEL作品らしいスーパーヒーロー作品であった。
1,あらすじ
両親を亡くし叔父のベンと叔母のメイのもとで育てられたピーター・パーカーは、ある日、父のリチャード・パーカーが残したバッグに隠された資料を見つける。父について知りたいピーターは、父の研究者仲間だったコナーズ博士に近付くため、オズコープの公開実習に参加する。単独で行動し侵入した「バイオケーブル」の開発室で遺伝子組み換えされたクモに刺され、博士の下で実習している同級生のグウェン・ステイシーに追い出されてしまう。その帰りの電車の中でピーターは驚異的な身体能力に目覚める。
後日、ピーターはコナーズ博士の家を訪ねリチャードの息子であることを明かし、父の資料にあった式を教えた。ピーターはオズコープに出入りするようになり、コナーズ博士と共に爬虫類の再生能力を転用した薬品の開発を成功させる。ある夜、帰宅したピーターはベンと口論になり家を飛び出す。ピーターを追いかけたベンは、逃走する強盗に撃たれ殺されてしまう。犯人を捜し出すため、ピーターはレスラーマスクをヒントにマスクを作り、オズコープの協力を得てウェブ・シューターを開発、クモをモチーフとしたスパンデックス素材のスーツを着てスパイダーマンとなる。
一方、上司であるラーサ博士から開発した薬の結果報告を急かされ、コナーズ博士は自らの体で実験をする。しかし、完成したと思われていた薬は不完全なもので、コナーズ博士をリザードに変身させてしまう。リザードの正体をコナーズ博士と知ったピーターは、彼を止めようと奮闘する。
2,感想
まず、主演のアンドリュー・ガーフィルドの演技が素晴らしかった。
イケてない高校生の感じや恋愛面で上手く思いを伝えられない不器用な感じ、親しい人を殺されて悲しみと憎しみが籠もった表情やヒーローとしての義務感・責任を内に秘めた覚悟ある表情など、高校生とヒーロー、それぞれの展開に適した演技が素晴らしかった。
当時30歳近くで高校生に見えないはずの年齢でしっかり高校生に見える演技をできていた点がまた驚きである。
次にカメラワークが特徴的だった。
MCU版のスパイダーマンに比べて、スパイダーマンのカットにおける一人称視点が多かったように感じられた。
個人的に、そのような演出は長時間やられると画面酔いしてしまうので相性が悪いのだが、適度な使用であったため、画面酔いすることなく見ることができた。むしろ、視点を変えていくことでスパイダーマンのアクションのスピード感や一人称視点ならではの迫力が伝わってきた。(映画館で見たかった…できるなら4DXとかでも見てみたい)
物語的には、さすがMARVELといったところか、ヒーローのアクションだけでなく、青春や親への反抗など、高校生らしい若々しさあふれるシーンや思わず笑ってしまうシーンがあって人間ドラマ的にも面白さがあった。
特別な遺伝子を持った蜘蛛に噛まれて、突然力を得たピーターだったが、冒頭はいじめっ子?だったフラッシュをおちょくるなど、どこか遊び半分で力を使っていた。
ベンおじさんが殺されてからは憎悪と復讐の念からか、私情で力を行使し、どこか悪役のようなオーラを放っていた。警察がスパイダーマンを指名手配していたのもまだ本物のヒーローではなく、口実や偽りのヒーローであることを示すためではないかと解釈した。
橋で見知らぬ子どもを助けたシーンあたりから、自身の数式によって、知識と研究成果、それによる新しい生物の誕生という未来に溺れたコナーズ博士を怪物にしてしまったことに責任を感じ、自分で起こしてしまったことは自分で片をつけると、ヒーローとしての責任に近いような意思を表示する。同時に、思春期に学ぶ、力あるものの責任(できることが多い)もヒーロー活動を通して学んでいるようにも感じられた。
責任感や自分よりもみんなのために動くヒーロー像というのはどの世界でも基本的な定型で、ここにゴールを置いたのは、MCU版のタイトルを借りるなら「ホームカミング」と言ったところであろう。
ヒーロー像としてのゴールはよく言われるところに帰着したが、本作における「ピーター・パーカー」の物語の終着点は、死に際のグウェンとの約束をおそらく破るのだろうというところにたどり着いた。
命をかけて未知の生物に挑み、命を落としたジョージとの「グウェンにもう近づくな」(町の秩序を守る抑止力が必要だから、お前はその使命を果たせ、そして愛する者を、私の娘を傷つけるようなことはするな)を破るであろう展開は賛否を巻き起こしそうな展開である。
人によっては、ピーター・パーカーだけが見た彼の死に際、そしてそのままヒーローとして約束を守り、使命を果たし、グウェンには会わないために葬儀に行かず、そのまま交友関係が切れていた方が良いエンドだと思うかもしれない。
だが私は(アメコミの定型的なヒーロー像は知らないが、日本のヒーロー像を植え付けられてきた身として)、葬儀には行かなかったが、結局約束を破るという、高校生らしい意志の一貫性のなさ、ブレブレな心を見ることができ、新しいヒーローの「中の人」の在り方を見ることができて新鮮であった。
続編にも期待したい。
スタン・リーはおもろい、エマ・ストーンはかわいい。
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