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「スパイダーマン2」感想

2004年の映画

監督:サム・ライミ

時間:2時間7分


1,あらすじ


グリーン・ゴブリンとの死闘から2年。ピーターはスパイダーマンとして日夜悪と闘いながら大学にも通っていた。しかしヒーロー稼業の忙しさゆえに大学(コロンビア大学で物理学専攻)は落第寸前。せっかく見つけたピザ屋のバイトもクビになってしまった。そんな中ピーターは、メイおばさんが開いてくれた誕生パーティーでMJとハリーに久々の再会を果たす。しかしゴブリンの一件以来MJとの距離は広がり、ハリーともどこかぎこちなくなっていた。
ある日、ピーターはハリーの紹介で尊敬する科学者オットー・オクタビアスと出会う。ハリーは父ノーマン亡き後、オズコープ社の社運を賭けた核融合プロジェクトを仕切っており、その中心人物がオクタビアスだったのだ。オクタビアスはピーターを好意的に迎え入れ、科学に寄せる情熱を力説した。妻ロージーとも仲むつまじいオクタビアスは、ピーターにとってまさに理想の存在だった。
翌日。オクタビアスが観衆の前で核融合のデモンストレーションを行う日がやってきた。オクタビアスは脊髄に人工知能を搭載した金属製のアームを直結し、そのアームで人間の入り得ない状況下での実験を披露するという。実験は順調に進んでいったが、実験装置に過負荷がかかり、強力な磁場が発生した。会場は粉々に破壊され、観衆はパニックに。その場に居合わせたピーターがスパイダーマンとして活躍し、最悪の事態は免れたが、ロージーは命を落とし、オクタビアスも意識不明となり病院に運ばれるが、事故で制御チップを失ったアームの人工知能が覚醒し、医師達を虐殺して逃亡。思考をアームに支配されたオクタビアスは「ドック・オク」と化し、実験装置の再建をもくろみ資金調達のため銀行を襲撃する。
一方、ヒーローとしての使命に迷いが生じていたピーターは超人的な力が消え始める。苦悩の末、ピーターは遂にスパイダーマンを引退することを決意する。

引用:Wikipedia


2,感想

シリーズ2作目、守りに入っているかもしれないが、出来は上々だと感じた。


映画「スパイダーマン」の続編でありながら、前作のメッセージを肯定だけでなく否定もした作品であった。



前作のラストでMJへの思いがありながら、ヒーローとしての責任を優先して彼女からの告白を断ったピーターだったが、恋愛面で中途半端になってしまう。どころか、スパイダーマンが父を殺したと誤解しスパイダーマンを知っているというピーターの嘘を信じ、かつMJも奪われてしまったハリーとの友情関係も上手くいかず、成績も落ちアルバイトもおろそか、家賃の支払いすらままならない状況で、ヒーロー活動と日常生活の両立がお世辞にも上手くいっているとは言えない。


前作の冒頭と状況が似ているのである。

賛否はあるものの、街の大勢から愛され憧れられるヒーローになってから、どこかイケてない人間に逆戻りしてしまった。


他にも、ヴィランであるDr.オクトパスも前作のグリーン・ゴブリン同様、知識や新しい発明、成果に溺れて危険な実験を強行し(実験に危険はつきものではあるが)、結果的にヴィランとなった点やMJがさらわれる展開も前作と似たようなものを感じる。


だが、前作と決定的に違う点が2つある。

A,あるべき自分(ヒーロー)よりありのままの自分(人間)になる点

B,スパイダーマンの正体がばれてしまう点(ばらした?)



である。


Aについて、ピーターは手からウェブ(糸)が思い通りに出なくなってしまったり、跳躍力や視力を失いかけ、ヒーローのアイデンティティ(だと思われている)スーパーパワーを失いかける。また、将来を隠さなければいけないというスパイダーマンのヒーロー的な部分がネックになり、MJに本当のことを打ち明けられない。そこにもモヤモヤを抱えていただろう。


ヒーローとして活動することに限界を感じたのだろうか。さらに序盤からの、実生活も上手くいっていないストレスも重なり、一人の普通の人間として生きられなくなったことにいらだちを覚えたのか、様々な要因が考えられるが、ピーターはスパイダーマンを一時期辞めてしまった。


あるべき自分(スーパーパワーを持つ正体不明のヒーロー)からありのままの自分(普通の大学生)への変化である。


ピーター自身はMJに対するアプローチが「時既に遅し」であったこと以外は順調な生活をしていた。

だが、スパイダーマンが去ってから街の犯罪率が増えた。火災などの事故で助かる人の数が減った。新聞で取り上げるネタが減った。


そして、街の象徴(シンボル)に憧れる子どもの存在を知った。

スパイダーマンに救われた人たちの存在を知った。


ここでおそらくピーターは「大いなる力は大いなる責任を伴う」という言葉の真意を理解する。

マクロからミクロへ、ヒーローから大学生への一本化へと遠回りをしなければ気づけなかった真実であろう。


そしてピーターは時に犠牲にしなければならないものがあるということをメイおばさんから教わり、スパイダーマンとして再始動する。


同じ言葉を書かせてほしい。「ホームカミング」である。


ありのままの自分からあるべき自分への帰還である。


最後には、スパイダーマンの正体がピーターだと知ったMJが結婚式を投げ出し、ピーターを愛すことにした。パートナーが危険性を妥協することで、ありのままの自分になることも叶った。


ピーター・パーカーの人間像が度々変化する点に本作の魅力を感じた。

人生は遠回りが実は一番の近道だったりする。


Bについて、本作では、数名がスパイダーマンの正体をはっきり知ってしまう。


まずスパイダーマンが止めた電車の中に乗っていた乗客


彼らと、この電車を止める一連のシーンで、誰がスパイダーマンを体臭のヒーローにしているか再確認することができた。


やはり、スパイダーマンをみんなのヒーローにしているのはピーター・パーカーではなく大衆の一般民、街の人々なのだ。


この後彼が活動できているのも、電車の中の人々が正体を誰にも言わないという約束を守っているからである。(正体がばれたヒーローはマスコミの話題性や人々の興味が若干薄れてしまうのではないだろうか。事件が起これば別)


次にハリー、スパイダーマンを父殺しの偽善者と憎んでいた彼であったが、正体が親友のピーターであることを知り、殺しの手を止めた。

その後、彼は父ノーマンがゴブリンの研究を密かに行っていたことを知る。


次作が親友対決ということになれば、ありがちな展開かもしれないが、それでも意味深なシーンが次作への期待を膨らませてくれた。


最後にMJ、正体を打ち明けたことでお互いのモヤモヤが晴れ、恋愛スタートというきれいなゴールにたどり着いた。


後ろ2人に関しては、メイおばさんにべんおじさんの死に関する真実を伝えた結果がピーターに影響しているだろう。


本当のことを話すというのは大事なことだ。



サム・ライム版のスパイダーマンはやっぱり人間教育が上手い。


おまけ、Dr.オクトパスの死に際かっこいい。彼はヴィランとしてではなく、ヒーローとして死んだよね。

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