なぜ言葉にアクセントをつけるのか

 様々な地方でアクセントの付け方が異なる。でも、そもそも言葉にアクセントをつけるのはなぜだろうか。ふと疑問に思ったので、少し考えてみる。

 ぱっと思いつくのは、ある言葉と、それとは異なる別の言葉を区別するためだ。例えば女の子の名前で「由紀」というのがある。AKB48の柏木由紀さんなんかの、あの「由紀」。それと、空から降る「雪」。これらは明確にアクセントが異なる。
 東京式アクセントで読んでみる。高く読むところはH、低く読むところはLで示す。そうすると、由紀:HL、雪:LHとなる。かたや名前、かたや天候だから、「ゆき」と聞いてどちらか迷うことはなさそうではあるが、
 「ゆき(HL)、ゆき(LH)。さて、私はなんと言ったでしょう?」
 なんて言われたら、これはアクセントで区別するしかない。

 「ゆき」が、名前と天候のどちらであるかの区別であれば、文脈で分かりそうなものだし、文脈で分かるのであれば、わざわざアクセントを付けて区別する必要はない。他の言葉にしても、文脈から相互に区別できるのであればアクセントを付ける必要はない。このような状況でアクセントの付与が歴史上どこかの段階で発生しても、それは拡がらず、長続きはしなかっただろう。不要なことは、人間しなくなるものである。
 しかし、現に、アクセントはある。僕ら日本語話者はアクセントをつけて話している。一部例外話者はいるが、それは厳然たる事実である。だからこう考えよう。アクセントは、それなしでは区別できない言葉を、音声上相互に区別するために必要なのである。

 要するに、アクセントは必要だからある。

 それなら、音声上相互に区別する必要がある言葉って何だろうか。「やかましい」と「ややこしい」だろうか。これなら文脈でなんとかなる気がする。
 思うに、一番大変なのは漢字じゃないだろうか。同音意義語が山ほどある、漢字。
 例えば「せい」と発音する漢字にはどんなものがあるだろうか。
 制、性、生、政、聖、静、征、……etc。まだまだある。
 これらは古代中国では、日本語の「せい」そのままであったとは思えない。それに似た別の発音で読まれていたのだろうけれども、日本にはすべて「せい」で入ってきた。日本語にはそれらに対応しきるほどの子音が足りなかった。
 日本語の子音を増やすことはできなかったのか? できなかった、あるいはそもそもそんなことしようとも思わなかった。現に僕らが喋っている日本語には古代中国語由来の子音はない。

 古代中国語が入ってきた時の状況を類推的に考えてみるために、ここで一つ思い浮かべてみてほしいことがある。現代日本語の、英語由来の外来語である。英語由来の外来語を言うとき、英語の子音を思い浮かべる人がどれだけいるだろうか。試みに、まあなんでもよいのだけれども、例えば「ロジカルシンキングが大事です」と口に出して言ってみてほしい。ロジカルの「ロ」はLoだから巻かない、シンキングの「シ」はThだから上下の前歯でほんの軽く舌を挟んで、とか気を付けるだろうか。おそらく気にしないはずである。日本語の単語として、ロジカルシンキングと発音するはずだ。
 英語が日本語に入ってきた時と同じように、古代中国語が日本語に入ってきたときも、日本人は子音を増やさなかったのだ、結局のところ。外来語を、日本語の発音で読むことにした。

 子音に加えて、中国語には四声がある。日本語よりも豊富な子音と四声によって、たくさんの「せい」(制、性、生、政、聖、静、征、……etc)を言い分けていた。
 漢字を日本(と言うべきか倭と言うべきか)の人々が自国語に取り入れようとした際に、子音は増やすことはしなかったが、四声は取り入れた。当時の人は頑張って真似して覚えたんだろう。子音は取り入れなかった、あるいは取り入れることができなかった。しかしそれでは、例えば「せい」と読む言葉を区別するのにあまりにも苦労する。けれども、四声を取り入れれば、区別するための標識を増やすことができる。だから取り入れたのだろう。

 それが京阪式アクセントというものの、そもそもの始まりだったのではないだろうか。京阪式アクセントが1拍語をもう1拍分母音を伸ばして発音し分けるその方法は、中国語の四声で理解できるというのは有名な話だ。
 余談だが、思うに昔は拍と音節の区別はそこまで意識されていなかっただろうことも分かる。今の京阪式アクセントだと、例えば「猿」は「さる LH」と発音するのだろうけれども、昔は「さるぅ Lh+l」と発音されていたらしい(『日本語アクセント入門』、三省堂、p.111参照)。
 猿は「さる」、2拍2音節の言葉だが、後ろの「る」でいったん上げて、そこから急下降させていた。これを「拍内下降」という(h+lと表現した)。要するに、これは「る」を中国語で言うところの第4声で発音することに等しい。拍内というよりも、「る」1音節に声調を付与しているようにしか見えない。拍と音節が区別されていたと考えるのはちょっと苦しい。今でこそ、京阪式アクセントは、音の数え方は「拍」、アクセントの付け方も「拍」の、まさに「拍アクセント」の代表みたいなものだが、昔は必ずしもそうではなかったのではないか。
 拍内下降は消滅しつつある現象らしい。そりゃそうだろうな、という感じだ。

 いったんまとめよう。
 ・アクセントは必要だからある。
 ・なんのために必要かと言うと、日本語で同じ発音の言葉、特に漢字を発音し分けるために必要。
 ・漢字を導入するときに、子音は増やさなかったが四声は取り入れた。
 ・四声が京阪式アクセントの元になった。
 京阪式は、ある部分はこれで説明できるんじゃないかと思うけれども、じゃあ東京式はどうなんだ、N型アクセントや無アクセントはどうなんだと言われると、まだわからない。結局のところ、アクセントをつけることで何がどう区別できているのかを、もう少し細かく考える必要があるのだと思う。


 たぶんなー。

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