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『PLAN75』老人ホームにいる祖母と会って怖くなった。


U-NEXTで『PLAN75』を観た。
公開時映画館でも観て、言葉が出なかった。
平日の昼間にミニシアターに行く年齢層は高く、私の周りはPLAN75の対象となる方ばかりだった。20代の私と、これから生きる時間より死の方が間近に迫っている方とは絶対に感じ方が違う。

私には、まだ死がよくわからない。
2年前にはそう思った。

『PLAN75』


先週、祖母の住む老人ホームへ行った。
祖母は長年糖尿病で腰も悪く、入院をきっかけに自分で歩けなくなってしまった。
同居の叔父は働いているし祖父はずいぶん前に天国に行ってしまった。
ヘルパーさんをお願いしてもどうしても空白の時間ができてしまう。
低血糖で倒れる可能性のある祖母には数時間でも1人でいる時間が大変危険なものになる。
家族だけでは祖母を支えられなくなり、
祖母自らホームに入ることを決断した。

それはコロナ禍の出来事だった。
最初は面会は全く許されず、
少ししてワクチンを打っていることを証明した上で家族1名のみ30分間、ロビーで面会できるようになり、
それから家族2名に変更され、
コロナが5類になってからはワクチン証明が不要になり人数制限もなくなり、
先週ついに祖母の住む部屋に立ち入ることができた。

部屋は一見綺麗だった。
けれど棚の高い位置には何年も紙袋に入ったままの謎の荷物があり、祖父の写真にはヒビが入っていて、塗り薬を収納しているカゴはベタベタしていた。
目が悪く、自力でベッドから出られない祖母はそれらに気づいていなかった。

施設の方はとても良くしてくださっている。
祖母の要望を極力叶えてくれるし、定期的に写真を送ってくれて、たくさんある薬の管理をして、必要があれば病院にも連れて行って、誕生日のお祝いもしてくれる。

部屋の中でコルセットや普段着、歯ブラシなど必要な物はきちんと整頓されていた。
こんなに良くしてもらって、さらに何が入っているかわからない紙袋の中身を整理してくれ、私物の収納を拭いてくれなんて図々しいお願いはできない。それは私たち家族の役目だ。
祖母には家族がいる。
これからは定期的に片付けをしてあげられる。

片付けをしていると埃が舞ったので窓を開けようとした。すると窓には鍵があって10cmくらいしか開かなかった。
そのことを祖母は知らなかった。
もう何年もこの部屋で暮らしているのに枕元にある窓を自分の意志で開閉しようとしたことが一度もない。それほど狭い世界で生きていることに悲しくなった。

ここで暮らすようになって3年、
祖母は病院以外どこにも行っていない。
家にも帰れていない。
祖母が可愛がっていた犬は再会できないまま天寿を全うした。

母が「見学で来た時は富士山が見えたけど、マンションができたから見えなくなっちゃったね」と言った。祖母はこの窓から富士山を見たことがあるのだろうか。

こんな鍵がついてた。


祖母は耳が遠くなっているけれど認知症ではない。
だからまだお話できる。
次に会いに行く時は、私の彼氏を紹介する。
そして、近いうちにウエディングドレス姿を見せたい。
長時間の外出は糖尿病対応の食事の関係で出来ないけれど、少しならできる。
結婚式は無理でもウエディングフォトを撮る時なら呼べる。
祖母に孫は2人。
もう1人の孫、私の従妹はまだ18歳だから私が早く見せてあげて、祖母の単調な日々に幸せを与えたい。祖母は毎日ラジオを聴いて暮らしている。

祖母の部屋から帰る時、
ちょうどランチの時間だったので他の入居者の方が車椅子でエレベーターホールに集まっていた。
当たり前だけれど、全員ご高齢だった。
みんな虚な目をしていて会話もなく、ただ職員さんが移動してくれるのを待っていた。
怖い、と思ってしまった。
そしてそんなことを思う自分に悲しくなった。

祖母が入居した時はお話できる入居者の方が何人かいたけれど亡くなったり認知症になってしまったりで今では話せる人は誰もいないと言っていた。

いつか私の祖母もなにもかも忘れてしまうのか、
私の父や母も大きな病気をしたり、
施設に入ることになったりするのか。
彼が私より先に天国に行ってしまわないか。
未来を想像して悲しくなった。
老いが怖い、時の流れが怖い。


映画『PLAN75』では「75歳以上になったら最期の時は自分で選べますよ〜!とってもいいプランですよ〜!最高ですよ〜!」と宣伝しているが実際は「無駄に長生きされても国の負担になって迷惑だからさっさとしてよ、邪魔なんだよ、自分がお荷物だって自覚してよ」という強い圧がある。京言葉みたいだ。

日本の少子高齢化には年々拍車がかかっていて、このままでは膨れ上がる医療費や独居老人、孤独死、介護要員不足などさまざまな問題はどんどん深刻になっている。
現実世界でこんなに思い切った政策が取られることはないと思うけれど、もし安楽死が選択できるようになったら「社会のお荷物は不要」といった空気になることは間違いない。
「お荷物」の箱には老人だけでなく身体障がい者、精神障がい者、引きこもり、ニート、犯罪を犯した人など社会が許容するラインから少しでもはみ出した人間はみんな放り込まれるだろう。
うっかりSNSで炎上しただけでも放り込まれかねない。

その対象に老いた自分の家族がなるかもしれないし、自分自信が事故や病気で1人ではトイレにも行けなくなってお荷物認定されてしまう可能性もある。
怖い。

映画は生きることを選択した主人公が清々したように光の中で歌を唄い、生に歩みを進めるところで終わる。
「生きることを選べてよかったね、まだまだ元気で自分で生活できるから生きていたいよね、直前で思いとどまれて本当に良かった」と言いたいところだけど、彼女には家族は1人もいないしプランの利用でお金も家もなくなった。数少ない手荷物さえなくなった。

作中ではすでに就活に失敗し家も借りられず、仕方なく生活保護を検討するも「老人はPLAN75がいいに決まってるでしょ!」の圧力に飲み込まれいく過程が描かれている。

もう一度市役所に行って事情を説明したら国は78歳の彼女を保護してくれるのだろうか?
生活保護を受け受給者向けの家を与えられたとしても、彼女には生活に必要な荷物が何もない。下着もない、タオルもない、携帯もない。
未来には確実に老いて日々動かなくなる身体と孤独と死しかない。
元気で何年か暮らせたとしても世間からの「なんで早くPLAN75を使わないの?何のために生きてるの?生産性のない人は社会に不要だとわからない?」と圧は日に日に強くなって、きっとまたあの施設に行くことになるだろう。
怖い。

最期を自分で選べるのがいいことなのか、
まだ死への距離が遠い私にはわからない。
わからないものは怖い。
死も老いも怖い。
未来が怖い。

安眠できるように今日図書館で借りてきた本を読む。悪夢を見ませんように。

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