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手に入れた青春

前回の続きです。前回はこちらから。

高校に進学するためには両親に学費を出してもらう必要があるので、進学の許可が下りるようなプレゼンをしなければならない。行きたい高校について調べ尽くし、なにを言われても反論できる準備をし心臓がはちきれそうな思いで「この学校に行きたい」と言った。「この学校なら出席日数が足りない私でも受験資格がある。それに単位制の総合学科だから自分で取りたい授業を選択することもできる。この学校に行って、自分の可能性を探しながら将来をしっかり考えたい」両親は都立高校というのもあり、学費が安いこともあって「頑張りなさい」と一言言うだけで、思ったよりもあっさり承諾してくれた。

学校ではクラスメイトが受験勉強に勤しむ中、私は自己PRカードに書く内容を考えたり過去の作文の試験対策に必死だった。

受験当日、面接官に「3分間で自分がこの学校でチャレンジしたいことをスピーチしてください」と言われ、中学校に通えなくなった経緯と、それを踏まえこの学校に通ってもう一度自分の手で人生を選択し、自分の手で生きる道を決めたいという主旨のスピーチをした。

結果は合格。しかも全受験者の中で2位だった。私の受けた高校は、朝の部、昼の部、夜の部という3部制で各部によって倍率が違う。私が受験した年に一番倍率が高かったのは朝の部で、なんと4倍超にもなっていたらしい。そんな中で2位を取れたのはとても嬉しかった。ちなみに2位と知ったのは、1位の子が入学式の新入生スピーチを頼まれるというのに入学前に退学してしまったため、急遽私がスピーチするということがあったからだ。

入学祝いとして親に初めての携帯電話を買ってもらった。15歳にして初めて触る携帯はとても魅力的で、機能制限がかかっているなかインターネットでたくさんの知識を得ようとした。高校に入ってから、今までの不自由な世界とは見違えるくらいに視野が広がった。小学生の時の門限は16時だったのに、今では18時まで許される。携帯電話を使えば好きな時に友達と連絡が取れるし、好きな音楽も聴き放題だ。高校生活に対する期待は、言うなれば重たかった足枷が少し軽くなったような、そんな感じ。

しかし実際はそううまくはいかなかった。携帯でのやり取りはTwitterやLINE、Facebook、InstagramというSNSが主流で、ショートメールでやりとりしていた私はすぐに蚊帳の外になった。アプリのインストールには制限がかけられていたので、なんとか親にLINEだけでもと説得を試みたが失敗に終わった。高校ではそれなりの成績をあげていたのになんでだろう。何がそんなに母の気に召さないんだろう。考えてもわからなかったので、機能制限があってもアプリをインストールする方法を学校のパソコンで調べ、抜け穴からSNSの類をインストールした。

夏になりバイトも始めた。「勉強すらまともに出来ない人間が、社会に出てまともに働けるわけがない!」と小学生の頃から事あるごとに言うので、どうにかして親を見返してやりたいと思った。それにお金があれば友達と遊べるし、バイトをしていれば夜の10時までは家に帰らなくて済む!小遣いなんてものがなかったので、週5で学校に通い,週4でバイトに行った。夏休みなんかは1日9時間の14連勤とかもした。自分で稼いだお金で好きなものを買うのがとてつもなく楽しかった。

こうしてようやく手に入れた青春はそう長くは続かなかった。元々私の高校は不登校児を受け入れる高校なのもあってか、中退率が3〜4割とかなり高く、学校に来なくなる生徒が段々と増えていった。2年生に上がった時、クラス替えの表から名前が消えていることで友達の退学を知った。中には名前があっても退学手続きを踏んでいないために、書類上は在籍していても学校には来ないという不登校の生徒もいた。入学時は30人近くもいたクラスメイトが、高校2年の時には既に15人を切っていた。退学する理由は何となく私にも察しがついた。働きアリの法則のように、いくらいじめられて不登校になった生徒をかき集めようとも、その中でまたいじめが起きるのだ。どこからがいじめで、どこからがそうで無いのか。いじめられていると認識するのはいじめられている側の人間であって、いじめている側の人間には加害者の意識はまるでない。悲しいことだが被害者側の気持ちをまるまる全て汲み取るなんて無理な話だし、しょうがないことだ。心の強さ弱さなんて人それぞれ。死ぬ奴は何を言っても死ぬように、辞める奴は何を言っても辞める。

こうして、少なくなっていくクラスメイトの中で残っている友人達と学校生活を過ごした。体育祭も文化祭もそこそこ楽しかったし、座学ではなく素描や陶芸、調理や自動車整備と、実技メインの授業を取り、成績もそこそこ優秀だった。単位制なので出席日数を計算して授業をサボり、友達とカラオケに行ったりファミレスで長時間ダラダラと話したりして生まれて初めての青春を謳歌した。

つづきはこちらから。

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