見出し画像

進路

前回の続きです。前回はこちらから。

それからの毎日は、世界がどんより灰色になったように、とにかく憂鬱で仕方がなかった。何よりも「おねーちゃんのせいで!」という次女の言葉が何度も頭の中でこだまして私を苦しめた。自分の人生は自分で決めるんだと自ら選択したものの、結果尻尾を巻いて逃げ帰って来て、更には妹の居場所まで奪うことになってしまった。後に私のいた一時保護所は児童虐待の疑いでニュースに取り沙汰されていたらしいが、仮に私がその被害者であろうが妹の居場所を取り上げてしまったという事実は変わらない。自責の念に押し潰されて、学校に復学した時「身体大丈夫?」「病気治ったの?」とクラスメイトに言われても全く言葉が出てこなかった。

大好きだった合唱コンクールも学校に行けていなかったので、一番端の目立たない場所に立ち口パクで誤魔化した。周りは受験勉強に忙しそうで、授業内容も受験対策用のものに切り替わり難し過ぎて全くついていけなかった。学校を休んでいた期間に私がしていた勉強と言ったら五十音のなぞり書きと百マス計算、それに刑法の書写だけだったから…。進学したい高校を志望校順に3つ書き出すプリントを配られても、私は白紙で出すしかなかった。なにせ受験するにあたっての出席日数が足りていなかったのだ。内申点もなければ学力もない、出席日数まで足りていない。クラスメイトは「推薦」だとか「偏差値」だとか私にはよくわからない話でもちきりだった。……それは紛れもなく絶望だった。その時初めてどん底の絶望感は人の感情まで奪い取ることを知った。悲しいとかつらいとかも思わず、涙すら出なかったのだから。

通知表の5教科(国語・数学・理科・社会・英語)は5段階評価中全てオール1。専門科目の音楽や美術はなんとか2〜3くらいを取れたが、受験シーズンが近づくにつれ担任の先生に呼び出されては「どうするんだ」と言われた。どうするんだと言われても困る。どうも出来ないんだから。逆に聞きたい、どうすりゃいいんだよ。「わかりません しりません もう何でもいいです」と呼び出されるたびテキトーに答えた。他人に助けを請うだとか甘えるだとか、もうわからなくなっていた。この先どうなりたいのかもわからないし、ていうかこの先って何だ?今もうダメなのに先のこと考えろって?例えるなら、人生ゲームで自分だけふりだしに戻ったようなものだ。みんなが着実に前に進んでいるのに、ふりだしにいる時の気持ちって諦めに近い惨めな気持ちになる。あの時の私はその人生ゲームの盤ごとぐちゃぐちゃにされた感じ。それも意図せぬかたちで自分の手で。ゲームの続行は不可能と思い、自暴自棄になっていた。

担任の先生から見れば相当態度が悪かっただろう私に、ある日生徒指導室で何も言わずに一冊のパンフレットを渡された。それは都立高校の学校案内のパンフレットだった。「ここならお前でも行けるかもな まあ参考程度に」と言って先生は席を立った。

先生がくれたそれを雑に鞄にしまい、家に帰って紙の束をパラパラとめくった。特に期待などしていなかったが、眺めていると驚きのことが書いてあった。簡単に言うと、この学校は小中学校をイジメなどのなんらかの事情で不登校になってしまった生徒を積極的に受け入れる学校だったのだ。受験も面接と作文と自己PRカードだけでいい。通知表を提出する必要もなく、学力も内申点も出席日数だって関係ない!こんな学校があるのか。しかも場所は家から自転車で行けるくらいの距離!

私は冬休み直前に再度配られた志望校を書くプリントに、一番上の第一志望の欄に貰ったパンフレットに書かれていた学校名を記入して提出した。もうこれしかない。これしか残されていない。灰色だった世界が、少しだけ色づいた気がした。

つづきはこちらから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?