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「弱さを愛し、優しさと愛を持って生きていく」―志村晋平・マイミチストーリー

(リード)
「夢を叶えてしまったときに、生き方を見失っていた」。世界中を旅してきたペイは、大きな喪失感に包まれていた。北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月の滞在型プログラム。それが「MY MICHIプロジェクト」だ。自分の心と向き合うために、2022年8月〜9月の第7期に参加したペイ。そのマイミチストーリーがここに。

(プロフィール)MI MICHI 7期生
志村 晋平(ペイ)|しむら・しんぺい|1984年山梨県生まれ。フリーランスのWEBクリエイターとして働きながら世界中を旅する中で、その先の生き方に迷いを抱く。自分はこの先どう生きていくのか、その指標を探すために「MY MICHIプロジェクト」に参加。ニックネームは「ペイ」。

「僕は、夢を叶えた人間なんです」と、ペイは言った。
フリーランスのWEBクリエイターとして働きながら、世界中を旅していた。
5年間で100カ国以上を巡った。仕事をしながら自由に旅をすることが夢だった。お金もあった。時間もあった。たった一人で、どこまでも自由に旅をした。毎日が刺激的で楽しかった。

だが、夢はいつまでも続くことはなかった。夢をすっかり叶えてしまったそのとき、ペイの心には大きな穴が開いていた。
「次は、どう生きればよいのだろう?」

自分がMYMICHI-PJに参加した理由を町長に話している様子

心と向き合うプログラムに魅力を感じる

定住できる土地を探そうと思った。長く一人で旅をしてきたが、寂しいと思ったことはなかった。一人の時間を心ゆくまで楽しむことができた。そこで次はコミュニティに属してみたいと思った。その先には、自分の根を下ろすことができる場所がきっとあるはずだ。

「世界を旅していた期間は本当に楽しくて、3日と同じ場所にいたことはありませんでした。このときは外に刺激を求めていましたが、旅を始めて3年も経つ頃にはそれも日常になっていました」と、ペイは当時を振り返る。

「そこで後半の2年間は自分の嫌いなこと、苦手なことをやってみようと思いました。僕は体が硬いことがコンプレックスにあるのでヨガをやってみたり、実は昔から海が怖いんですけどスキューバダイビングをしてみたり。すると、好きな世界よりも嫌いで避けていた世界の方が広かったことに気がつきました」
その先にもう一つ、大きな気づきがあった。

「僕は旅をしている間、人との関わりを避けていたことにも気づいたんです。この気づきかから、コミュニティに属したい、いずれは定住したいという思いにたどり着きました。自分一人を満たすだけの人生から、親しい人や自分以外の人も満たすことができる人生を歩めたらどんなに素敵なことだろう。そんな思いが心の中に芽生えてきました」

帰国した後は、福岡や熊本のゲストハウスなどで生活をしていた。そしてあるときに、移住サイトを見て「MY MICHIプロジェクト」を知ることになる。
「1カ月間という、比較的長い期間滞在できること、遊ぶ・学ぶ・働くがバランスよく体験できることがいいなと思いました。でも何より魅力的と感じたのは、自分の心と向き合うプログラムだということです。旅を終えて次のステージに進む前に、僕自身、自分と向き合う必要があると感じていたので、参加を決めました」と、ペイは語る。

場所や環境といった定住するための条件を探すのではなく、自分はこれからどう生きたいのか、どんな人生をつくっていきたいのか。そこが明確になってから定住に向かえば、それは自分の人生を本当の意味でコミットすることになる。そう考えていた。

北海道は以前にも訪れたことはあったが、道東は初めてだった。道東は自然が豊かで酪農が盛んな地域。牧歌的なイメージを持っていた。上士幌は、まさにその景色ピッタリの場所だった。

日々の小さな発見で、幸せの定義が広がった

マイミチ7期生として1カ月間を過ごして、最も印象に残っているのは同期メンバーとの日常的な会話だ。

プログラムで体験する上士幌ならではのアクティビティや、町の人たちとの交流は、いずれも大きな刺激を得るものだったが、それ以上にメンバーと過ごす日常生活は新しい発見が多かった。ペイは参加者最年長の38歳で、ほかのメンバーは自分より一回りも違う20代ばかりだったが、接していると尊敬できる部分がたくさんあった。

いろんな気づきを与えてくれた個性あふれる7期のメンバー

「MY MICHIプロジェクト」では、参加者全員が自分の人生を振り返る「マイ・ストーリー」を皆の前で発表する。自分もここにたどり着くまでにさまざまなことがあったし、バラエティに富んだ人生だと思っていたが、中には想像を超える壮絶な過去を語るメンバーもいた。本当に、人生はそれぞれだと思った。

プログラムの初期には、参加メンバーとお互いが持っている大切にしている価値観をシェアリングした。あるメンバーはそれを「直感」と言った。日常生活の中にはどこかに感じる小さな直感がある。それを信じて生きていけたらなんて素敵なのだろう。あるメンバーは「死なないこと」と言った。なぜ「生きる」ではなく「死なない」と表現したのか。何か大切なことが含まれている、深くて、刺さる言葉だと感じた。

そんなメンバーたちとシェアハウスで生活をしながら丁寧に会話をしていく。日々の会話を積み重ねていくと、あるとき自分の意識に変化が生じていたことに気がついた。ある瞬間にガラリと変わったわけではない。新鮮で楽しい毎日の小さな驚きや小さな発見、小さな感動。小さな変化は積み重ねられ、気がつけば大きなものになっていた。

「いつだったかな、メンバーとも毎日のように価値観が更新されていくねと話した記憶があります。プログラム期間中、僕たちは日々の気づきを日報にまとめていたのですが、メンバーそれぞれに気づきの感度が違っていて、それも良い刺激になりました」と、ペイは話す。

今までは、自由に生きることが自分には幸せな生き方なのだと自信を持って生きてきた。しかし、この上士幌で他人の人生や価値観に触れたことで、視界が広くなった。

「僕の中で、幸せの定義が広がったと感じています」

メンバーがこけないようにサポートする様子

「人は、弱い部分にこそ、その人の魅力が詰まっている」

1カ月間はあっという間だった。上士幌での体験、町の人たちとの出会い、そして同じメンバーと過ごしたかけがえのない時間。自分の内面と向き合った1カ月の旅の先にペイは何を見たのだろうか。

「……愛、ですね」

それは、自分の心の底から見つけることができた、大切な宝物であった。ペイが見つけた愛とはどのようなものなのか。

「僕は、子どもの頃からずっと順調な人生を歩んできました。成績も良かったし、希望する大学に進むこともできた。でも就職した会社で初めての挫折を経験しました。仕事が辛くて逃げ出してしまったんです。このときにも一度、弱い自分を変えたくて世界を一周する旅に出ました。旅から帰った自分は、いつか何かを成し遂げることができるはず。そう思っていましが、実際は何も変わらなかった。そして、そんな自分を責めて、何もできなかった弱い自分をないものにしたいと思っていました」と、過去を語るペイ。

「MY MICHIプロジェクト」は、自分の過去ととことん向き合うプログラムでもある。メンバー同士でお互いの過去をシェアし、そこで何を思ったか、何を感じたのか。底を割って語らうのだ。ペイはメンバーの話を聞きながら、それぞれの弱い部分も自分の中で消化していった。そして、ふと気がついたのだ。

「人は、弱い部分にこそ、その人の魅力が詰まっている」と。

自分のことを人に伝えることで自分の過去を整理して振り返る

「それに気づいたとき、その弱さを愛せる人になりたいと思いました。今までは弱い自分であってはいけない。強くなければならないと考えていましたが、弱さをしっかりと認めることが、魅力につながると思ったんです」

夢を叶えるためには、強い意志が必要だと思っていた。夢が大きくなるほどに、思いも強くなければならないと思っていた。それは、もしかしたら弱くなってはいけないという気持ちだったのかもしれない。世界を旅しながら仕事をしているときも、旅をする自由と隣り合わせに、仕事も精力的にこなして自立しなければならないという気持ちがあった。

でも、本当の魅力とは、別のところにあるのではないか? いつも笑顔で笑っている人は、それだけで周りを和ませてくれる。強さだけではない、別の軸がそこにはある。それに気づいたペイは、結果だけを求めるのではなく、過程を楽しむことこそが大切なのではないかと思った。

悩み、考え、気づき、感じたその先に見つけたもの――それは「誰かを愛したい」という純粋な気持ちだった。

寿司職人としてマイミチバー「IBASYO」で披露して沢山のお客さんに喜んでもらった

自分の本質を見つけたとき、生き方を知る

ペイは、7期の活動が終わった後も、次の8期をサポートするスタッフとして滞在を延長することにした。一つには、「MY MICHIプロジェクト」に参加して、このプログラムそのものに大きな魅力を感じたからだ。

これから社会に旅立つ若い人、進むべき未来に迷い人生に立ち止まった人、自分の生き方や生きるための指標を見つけたい人、そんな人たちが自分の進むべき道を見つけていくこの事業は、社会的にも大きな意義がある。何よりペイ自身も、未来に向けてもう少し自身を深掘りする時間がほしいと思った。

ペイは、ここで改めて自分の過去を振り返ってみた。

思い出したのは、3歳のときの記憶だった。あるとき、「さあ、保育園に行こうね」と言った母に対して「行きたくない」と言った。その記憶は、自分を保育園に連れて行こうとする母を否定していたものだと思っていた。そしてそんなことを言ってしまった自分を責めていた。僕は、大好きな母さえも否定してしまう人間なんだと。

もう少し、記憶を掘り起こしていくと「お母さん、ごめんね」という感情があったことに気がついた。それは母を否定していたのではなく、母と一緒にいたかったから出てきた言葉だったのだ。そのときに、僕は「ごめんね」と言えるくらい優しい人間なんだと思った。その優しさは自分の本質であり、同時に調和と平和を大切に思う人間なのだと気がついた。

そして、見つけたと思った。これからの、生き方を。

「弱さを愛し、優しさと愛を持って生きていく」

最終報告会で1ヶ月を振り返る中で感極まって思わず言葉が詰まる

これがペイのマイミチだ。そんな人間になりたいと思ったとき、ぼんやりと自分の未来が見えてきた。

上士幌に来て良かった。忘れていた自分を思い出した。世界を旅したときには得ることのできなかった贅沢な時間だった。

2023年が始まったとき、ペイは九州の宮崎県にいた。マイミチで得た経験を活かして、生き方に悩む人たちの力になりたい。そのために今自分ができることは何か。それを模索しながら、志村晋平は小さな旅を続けている。

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