いつまで自分は他人のシステムを作っているのだろう
ぼくはシステムエンジニアという仕事をしています。
仕事の内容はクライアントから受注して、システムを作って、納品する、の繰り返しです。
そんな中で「いつまで自分は他人のシステムを作っているのだろう」と思うことがあります。
ぼくはものづくりが好きな性格で、プログラミングが好きで、バックエンドもフロントエンドもそれなりにできるようになり、あとはデザインができれば最強じゃん!と個人的に思っています。
ただぼくみたいなものづくりや、プログラミングが好きでエンジニアでも、会社という組織にいると、30代ぐらいで管理職を任せられるようになっていきます。
こういう管理職に押し上げられるのは、組織で働いていると仕方ないことないことかもしれません。
とはいえ、やはり管理職にならないでいい方法というのもあるような気がしています。
フリーでもやれるのか試してみる
コードを書き続けるようなキャリアを歩みたいと思ったとき、果たして自分の能力、技術がどれくらい通用するのか試してみたくなりました。
それで通用しなければ、井の中の蛙と思えますから。
そして結論を先に言うと、一人で副業として案件1,2つやってみたところお金をもらうのは正直、簡単でした。
フリーで副業として、自社開発系の案件の仕事をやって自分で請求書作って、お金をもらうのは刺激的で面白いです。ひりつきます。
ただ単価を上げるとかの交渉事が如何に大事かということも同時に肌身を以て感じました。
さて、会社員かフリーランスか転職か
フリーでそれなりに稼げることも経験として分かりました。
自社サービスでも、受託開発でもコードを書いて、あんまり好きでないPdMみたいなこともして、やっぱり手を動かして開発することは楽しかったです。
手を動かすようなコードを書き続けるキャリアを歩みたい気持ちはあります。
今の受託開発会社だと管理職的な仕事もこなす必要があり、その状況を一変させようとすれば、転職かフリーランスになるか、という選択になります。
管理職的な仕事が発生するのは、チームメンバーのガチャによります。自分よりできる人がいれば、その人が管理タスクを担うように今の会社ではなっています。今だとEMと言ったりするような役割です。
転職するにも、受託開発か自社開発か、という分かれ道もあります。悩みしかありません。
他人のシステムを作るのはもういい
受託企業でも自社開発の企業でも、自分のプロダクトではなく詰まるところ誰かのプロダクトです。
フリーでも会社員でも、作ることは楽しくても他人のもので、お金は時間を切り売りしている感覚が強くて、作ったものは一回作れば「はい、おしまい」というカルマからは抜けられませんでした。
「他人のものを一生懸命に作って、なにやってるんだろう」、「他人のシステムを作るのはもういいんじゃないか」と思う気持ちがそこはかとなく湧いてきます。
自分で作っても、それは自分のものではないというのはなんだか悲しくなってしまっていました。
自分で作って、自分で売る憧れ
自分のサービスを作って、一発当てて、それを主軸にして生活をする、というのに憧れはあります。
しかし正直、クライアントワークな案件をこなすほうがコスパはいいです。基本的に投下した時間だけ稼ぐことができるので。ただそれはぼくの強くやりたいことではない、と思ってたりもします。
ぼくがやりたいと思うことは、自分で作ってそれを多くの人に使ってもらうこと。これがやりたいことだと思います。
例えば少しずつ流行っている個人開発で生活することができればストレスも少なく、自分の作ったもので生活ができて自分の望むようなストーリーかもしれません。
実際に個人開発で生活しているような人のサービスを少し列挙してみると、多少ありそうです。
inkdrop
Menta
wraptas
Xを見ると個人開発で稼いでいる人が多くいるようにみえますが、SNSの性質として「いいところばかり見える」というバイアスは大なり小なり、いや、多分にあると思います。
クライアントありきで誰かのものを作る、というのはお小遣いを稼ぐくらいであればコスパは良いです。暮らしに関しては安心感が出てきます。
一方で自分の感情として、自分が納得いく形で誰かのものを作れているか、と言われると、クライアントにそれを納品するたびに「まだあそこが直したい。」「改善の余地がある」「クソコードじゃないか」と思うことはしばしばあります。
このシステムは誰のものか
作ったシステムは誰のものか、という基準は受託案件であればクライアントのものということになるのでしょう。自社開発の企業であれば、それも会社のものなのでしょう。
この理屈でいくと自分で作って、それを誰かに使ってもらって、収益も独り占めしていることが自分のモノということになります。
しかし一方で一人でなにかを作りたいか、というとこれもまたどこか違うような気もしています。
血を注ぐ
なにかを作るときに、最初の一人目もしくは、生まれる瞬間を目の当たりにしたいのだという気持ちに最近、自分の中に気付きました。
なんというか、どこか集団の先頭を行くような、先輩風を吹かすような、支配欲にも似たエラぶりたいところがあるのかもしれません。
システムを作ることで言えば、自分がそのシステムを最初に作った人であり、それが成長する瞬間を目の当たりにしたいのです。そのシステムに最初に自分の多くの血を注ぎたいのです。
そうすればぼくが作ったシステムとそれを認めることができるのだろうと思います。最初にそれを作る、自分の血を注ぐ、というのがぼくにとって大事なのです。
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