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6月18日「命をくれたお茶漬け」

いまは元気に生きているけれど、そんな私も28歳から37~38歳くらいかな?その頃まではずっと体調不良で何回か死にかけたり、結構しんどい時期だった。
父の死がきっかけとなって、初めてパニック障害と鬱病を併発したのが発端となった。
父が急に倒れてから亡くなるまでの約2週間で味覚が無くなり、食べ物を受け付けなくなってしまっていた。もうなにを食べても砂を噛んでるみたいだったし、食べ物を見るだけで吐き気がひどかった。水分もあまり摂れなくなっていたから余計に体調は悪化していったが、父の葬儀やら遺品整理やら事務手続きやら、関係各所を調べての連絡等々で自分のことなんて気にしていられなかった。その時はその忙しさのお陰で、まだ自分を保っていられたというのも事実ではある。

少し状況が落ち着いてきたら、そこまでの無理が一気に噴出して病状は驚くくらいに急下降していった。いま思い出してもほんとよく生きてたなぁ、と思う。

「数日くらい何も食べなくっても死にやしない。人間生きてればそのうち腹は減る」
って、聞くけれどわたしはそれは人には言えないなと思う。

その頃はもう全く食欲なんて失ってたし、水分すらうまく摂れないから脱水症状が出てて、点滴を受けてなんとか日々繋いでいた。
「呼吸ってどうやったら自然にできるんだっけ?」って考えながら毎秒「呼吸しなきゃ」って必死で。
まぁでも実際のところ、空腹を身体が訴えてない時は食べない方がいい。
身体が欲していないのだから。だから、そういう意味では「生きてればそのうち腹は減るから無理して食べなくていいよ」とは言える。数日くらい食べなくても死にやしない、といいうのもわかる。
でもさ、やっぱり人間の身体には限度というものがある。不食の人もいるから「限度」っていうのも思い込みなのかもしれないけれど、この頃の自分みたいに急激な体調悪化とかで食べられなくなったという状況での「不食」と「自分の意思で食べない『不食』」はわけが違うと思うのだ。めっちゃ心身弱ってる状態なわけだから。

点滴などで栄養を入れることはできるが、やっぱり口から物を摂れるというのはほんとうに大切なことだと思う。
自分の意思で口から食べ物を摂るというのは、そのまま「生きる」という意味に繋がると思っている。点滴で生命を維持することはできても、それだけでは生きるための根本の力みたいなものが自分の中に溜まっていくことはない。ちょっとずつちょっとずつ自分の中の生きる力みたいなのが消耗されていく感じがあった。

そんな風にしてもうだいぶ生と死の境が分からなくなっていた時に、救われた食べ物がある。
それはなんてことのない、家で母が作ってくれた出汁のきいた素朴なお茶漬けだった。
母は「食べられないかもしれないけど、少しでも」と無理強いせずにそっと目の前に用意をしてくれた。自分も決して体調が良いわけではなかったのに。

目の前にあるそれからはなんだかとても良い香りがした。
それまでは食べ物を見て「良い香り」なんて思えなかったのに。
ほんとうに久しぶりに「匂い」というものを心地よく感じ、自然と「食べたい」と思えた瞬間だった。

一口出汁を飲んでみた時の感覚は今でも忘れていない。
「おいしい」
生き返った気がした。

ほんとうに美味しかった。味を感じたのはいつぶりだったんだろうか。
おいしさと温かさにぼろぼろと涙が出た。
「食べられた」ということが何よりも嬉しかった。

一口食べられたら急にものすごい空腹感が湧き上がってきた。しっかり一食分を食べきった。
「空腹」という感覚も同時に戻ってきたのだ。

その日を境にほんとうに少しずつではあるが、食事をできるようになり体温もあがってきた。そして少しずつ少しずつ気力も出てきて、急下降の日々はは一旦終わりを見せた。

ほんと人間て、なんて不思議でよくできた身体なんだろう、と思う。
温かくて愛情をこめて作られたものを口にできたら、それだけで生きるという光がちゃんと自分の中に見えてくるのだから。

そのお茶漬けはいまも身体が疲れている時などは作って食べている。
母の知人が入院し同じように食べ物を受け付けなくなったときも、お茶漬けをつくって病院までもっていった。
食べてくれるかはわからないけれど、もし口にすることができたなら私が受けとったみたいに少しでも生きる希望を見出せますように、と愛と祈りだけはしっかりとそのお茶漬けに込めて。

いまはその知人も回復してものすごくパワフルに生活をしている。
「あのときのお茶漬けすごく嬉しかった。美味しいって思えたよ」
って言ってくれたけど、ほんとうに口にできたのかどうかは知らないしどちらでもいいと思っている。
もし口にできてなくてもお茶漬けに込めた祈りがきっと届いたんだと感じているから。


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