高校中退の僕が箱根駅伝を走る Part2

前回から2年が経過してしまったけれど、少しでも誰かの為になれればとPart2を更新したいと思います。

箱根駅伝に憧れた中学生の私はというと…
まだこの頃は素直な心を持っていたので先生の指導に従い毎日純粋に練習をしていました。
とはいえ、野球部だったので陸上や駅伝の大会には仮出場部員という形です。野球が下手だった事もあり野球部の練習でもたくさん走りました。笑
元々、走ることには自信があったので県大会で上位入賞。全国大会でも一度だけ入賞できました。
しかし、怪我に苦しみ思うような結果は出せず。
あの時は少しも思わなかったが、早熟だったし練習しすぎていたと思う。(本題からそれてしまうのでこれはまた後日)

そして、高校進学の進路を決める時に1つ目の人生の分かれ道がありました。
私立か…
公立か…
または進学校か…
ある程度自由に選べるくらいの幅がありました。(生意気ですみません)
家を離れて寮生活をするのは親から反対。陸上に力を入れている公立校への進学は周囲にはあまり認めてもらえる雰囲気でもなく…その頃は僕はまだ自分の意思を貫くことはできずに結果としては親の勧めた進学校へ行くこととなりました。

その高校時代は全く陸上に力を入れていない訳ではなく、俗にいう古豪であり競技経験のある先生もいました。

競技も勉強も「まぁ俺なら大丈夫だろ」と進路を決めた時には自信がありました。(恥ずかしい)
しかし現実はそんなに甘くはありません。
入学してすぐのテストでは下からヒトケタでした。
競技の方も春先から凡走もいい所。私立に行った同級生には全く歯が立ちません。(今思えば冬から春にまともな練習してないから当たり前…)

人生で初めての挫折。全てが噛み合わない春でした。

そこからは自分なりにもがきました。授業中に行われる確認テストに不合格だと放課後に居残り勉強を強制されるような学校でした。
練習ができなくなってしまうと毎日が必死でした。たぶんこの時が人生で1番勉強していたと思う。笑
どうにか居残り勉強は回避できても、部活からの勉強で夜寝る時間が遅くなる。疲れが取れない。貧血になる…と状況は悪化するばかり。

そんな時、何かか自分の中で弾けました。
人生で初の反抗。
(反抗と言えるほどの事でもなく、逃げたに近い)

そこからは暗闇の生活が始まります…

うまく書き進められないので、今日はこの辺で。

辛い思いをしている学生たった1人でも読んでくれて励みになれば…
そう思って文字を打ってるけれど、思い出を綴っているだけになってるし、全然励みになるようなことはまだ書けていない…

でも、これだけは伝えたい。
夢は追い続ければ必ずチャンスが来て掴める。
今は辛いことから逃げてもいいと思う。まずは自分と向き合うことから始めてみよう。

言うのは簡単だろ??
あの時の自分もそう思うはず。
でも、そう思えた人こそ必ず大丈夫。

続きはまた今度…

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