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歴史・人物伝~若き信長編②青年期の「大うつけ」信長

若い頃の織田信長は、人々から「大うつけ」と言われていました。うつけ者というと、暗愚というイメージを持ってしまいがちですが、信長の場合は「変わり者」という意味合いにとらえた方がいいでしょう。

「信長公記」でも、青年期の信長をこう書いています。

「町中を歩きながら、人目もはばからず、栗や柿はいうまでもなく瓜までかじり食い、町中で立ったまま餅を食い、人に寄りかかり、いつも人の肩にぶら下がって歩いていた」※地図で読む現代語訳信長公記より

ドラマや映画での青年・信長の姿は、誇張表現されたものかと思っていましたが、衣装などは別にして、立ち振る舞いは「信長公記」を忠実に再現しています。作者の太田牛一も「見苦しい」としているほどです。

ただ、「信長公記」によると、弓、鉄砲、槍の稽古や鷹狩りという武士のたしなみは、しっかりと修練していました。とくに「鉄砲の稽古」を行っていたという記述は注目されます。

当時は鉄砲が日本に入ってきて、数年しか経っていません。信長がいち早く鉄砲に興味を示し、自ら扱い方を学んでいるというのは、彼の先見の明を知るエピソードとも言えますね。

「信長公記」の作者・太田牛一とは

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