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歴史・人物伝~エピソード編㉝:鍋島閑叟「西洋通の佐賀藩主が最強の軍事力を生む」

幕末の佐賀藩主としてその名が知られる鍋島閑叟(直正)は、薩摩藩の島津斉彬と並ぶ西洋通の藩主でした。ペリー来航以来、尊王攘夷を掲げる人々が増える中で、積極的に西洋の軍事力や医学を取り入れたのです。

ただ、政治的なスタンスは終始曖昧だったと言われています。幕末最強と言われる軍事力を持つ佐賀藩は、倒幕を意図する長州や薩摩藩にとって味方にしたいところですが、閑叟は積極的に討幕派諸藩に加わることはありませんでした。

その軍事力が力を発揮したのが、旧幕臣らの彰義隊が立てこもった上野戦争です。佐賀藩しか所有していなかったアームストロング砲が炸裂し、彰義隊を壊滅させました。さらに、函館戦争などでも圧倒的な軍事力を見せつけたのです。

閑叟は典型的な専制君主と言われ、藩士が他藩の人材と交流することを嫌がりました。その結果、幕末の動乱に巻き込まれることなく人材の温存ができ、明治時代になってから江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任ら多くの偉人を輩出したのです。

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