歴史・人物伝~番外コラム:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」いよいよ本性を現した三浦義村
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝の死去によって権力バランスが崩れ、御家人たちによる苛烈なサバイバルレースが始まっています。最初の脱落者となったのは、頼朝の信頼が厚かった梶原景時でした。
景時は、讒言癖によって多くの御家人から嫌われていました。謀反の疑いがあるとした結城朝光への処分を巡り、結城を支持する御家人たちによって、逆に景時を断罪する訴状が作られ、源頼家に提出されてしまったのです。
朝光から処分のことを聞かされた美衣(阿波局)が、御家人たちに相談を持ち掛けたのがきっかけでした。訴状のアイディアを出したのは三浦義村で、北条時政や和田義盛ら有力御家人が次々と署名し、反景時の勢力が膨大に膨れ上がりました。
ドラマでは、時政の妻のりく(牧の方)が、一番端にあった時政の署名を切り裂いて焼き捨て、「時政はこの件に一切かかわりないことにする」と言い放ちます。頼家と景時が万が一結託した場合を考えた策を図ったのです。
時政を立てて、鎌倉幕府の中心にのし上がっていこうという牧の方の権力欲が、前面に出てきた象徴的なシーンでした。見ている側からすると、「この人は、これから何をやらかしていくのだろうか?」という興味も沸き立ってきます。
ところが、そんな牧の方をも上回る恐るべき謀略家が、いよいよ本性を現してきたのです。それが三浦義村。訴状提出は、景時を失脚に追い込める手段として、結城の一件を利用して考え出したのです。りくの行動は想定外でしたが・・・
これまでの義村は、北条義時のブレーン的な存在として、あまり表には出てきませんでした。しかし、義村は最初から「源氏」というブランドには固執していませんし、幕府の中で誰が権力を持つのかを冷静に見極める力を持っている人物です。
この後も、さらに苛烈な権力争いが繰り広げられますが、義時と政子による北条氏の権力基盤固めとともに、権力者として北条氏を担ぎ上げる義村の謀略ぶりが、どのように描かれるのか注目して見ていきたいと思います。
※このコラムはブログ版「歴史・人物伝」と共通記事です
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