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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」羽柴秀長のような歴史に名を残す弟たち

6日放送の大河ドラマ「どうする家康」は、羽柴秀吉が天下取りを狙って動き出すドラマが描かれました。その秀吉には、羽柴秀長という3歳年下の弟がおり、秀長なくして秀吉の天下取りはあり得なかったとまで言われた人物でした。

ところで、歴史を振り返ってみると、羽柴秀長のような優秀な弟に助けられたという歴史上の偉人が意外と多いことがわかります。今回のコラムでは、そんな「弟」たちの何人かをクローズアップしてみたいと思います。

★羽柴秀長(秀吉の弟)

学生時代に歴史を学んでいても、羽柴秀長が教科書に登場することはほぼありませんでした。秀吉のきょうだいといえば、人質同然に徳川家康の正室として送り込まれた妹の旭姫の方が有名なくらいです。

秀長は実直な人柄だったといい、実務能力にもたけており、戦いの場だけでなく、秀吉の領国経営でも力を発揮しています。また、秀吉に直言できる立場にありながら、自ら権力を誇示することなく、徹底して補佐役に終始した生涯でした。

★武田信繁(信玄の弟)

戦国時代は親でも兄弟でも、血肉を分けるような争いが頻発していました。そのなかにあって、武田信玄の弟の信繁は、羽柴秀長同様に兄の補佐役として、戦国武田家を支え続けてきた武将として知られています。

信玄と反目していた父の信虎によって、信繁は後継者に据えられようとしました。ふつうならお家騒動のタネになるところですが、信繁は己の分をしっかりわきまえて信玄に仕え、信玄も弟に絶対的な信頼を持っていたようです。

★島津義弘(義久の弟)

戦国島津氏の場合、義弘だけでなく、その弟の歳久、家久を含む3人が、当主の義久を支えていました。その絆の深さは他の戦国武将には見られず、ゆえに島津氏が九州の覇者として台頭することができたのです。

義弘は猛将の名で知られ、数々の戦いの場で武功を挙げてきました。義弘らの武勇があるからこそ、義久は領国経営や家臣団の統制などに集中できたといえます。島津家は義弘の子(忠恒)が薩摩藩初代藩主となっています。

★足利直義(尊氏の弟)

室町幕府初代将軍の足利尊氏には、直義という弟がいました。カリスマ的な存在で、戦いの先頭に立つような武者だった尊氏とは対照的に、実務能力にたけ、幕府を実質的に経営していたのは直義だったと言われています。

鎌倉幕府の倒幕や後醍醐天皇への対抗といった、共通の目的があった頃は強力なコンビになったのですが、足利氏が権力の頂点に立つと、権力争いが勃発してしまい、尊氏と直義は敵同士として戦うことになるのです。

★源義経(頼朝の弟)

兄弟そろって超有名人といえば、源頼朝と源義経に代表されるでしょう。頼朝は鎌倉幕府の初代将軍として武家政権を樹立した人物ですし、義経は頼朝の命に従って数々の合戦で伝説的な武功を挙げた武将です。

頼朝にとっては、これほど頼もしい弟はいない半面、討つべき敵(平家)がいなくなった時、自分にとって最も脅威になる存在だと分かったのでしょう。それが、義経討伐という悲劇につながっていってしまったのです。


ドラマはいよいよ、秀吉と家康が激突する小牧・長久手の戦いへと入っていきます。圧倒的多数の敵に対し、家康がどんな計略を見せるのか。それを上回る秀吉の軍略はあるのか。楽しみですね。

※13日の歴史・人物伝はお休みします。次回は20日の予定です


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