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歴史・人物伝~若き信長編⑩暗殺団を直接詰問した信長

織田信長の上洛(京都入り)と言うと、足利義昭を奉じた大軍勢での上洛を思い浮かべるでしょうが、実は1559年に上洛していました。ほぼ尾張一国を統一した頃にあたります。

時の将軍・足利義輝への謁見を果たすとともに、京都、奈良、堺を見物したそうです。おそらく、信長自身が見聞を広げようとの目的で、各地を巡ったのだと思われます。

「信長公記」によると、信長を狙って美濃から暗殺団が送り込まれたといいます。しかし、暗殺計画は未然に漏れてしまい、信長は直接暗殺団と対面したのです。信長は彼らに向かって、こう言い放ちました。

「未熟者の分際で信長を付け狙うとは、かまきりが鎌を振り上げて馬車に立ち向かうようなものだ。できるものか。それとも、ここでやってみるか」
※地図と読む現代語訳信長公記

度量が大きいと言えば、そうかもしれませんが、暗殺団に会うこと自体は不用心です。そこが、行動派の信長らしさとも言えます。結局、事なきを得て無事に尾張に帰国できたのです。

歴史・人物伝~信長編では、若き日の織田信長について「信長公記」に沿って書いてきました。今回でひとまず終了しますが、いずれはこの続き、すなわち信長が世に出るきっかけとなった「桶狭間の合戦」について書いてみたいと思っています。

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